サブロー通信

サブロー通信は、アースアイズ代表 山内三郎が配信するメルマガです。
本ページでは、2019年4月〜現在までのサブロー通信をご覧いただけます。

2020.11.30

色受想行識 六根清浄 AI五感カメラ(後編)

前回、色(物体)、受(色認識・RGB)、想(神経を通じて送る)、行(目的を把握)、識(知識の中から判断をする)の流れをご説明しました。

五感カメラを創りたいと思ったのは、この考え方からなのですが、ただ、私の理想とする五感カメラは、まだまだできていません(笑)

AIが識(知識の中から物体をどのように扱うか?)については、まだ時間かかるということで前編を結びました。
識は、人の体験から生まれる心の判断するもので、AIにはその体験ができないからです。

AIにはまだ、目的を理解する『選択』ができません。
物体の把握などは簡易にできるようになってきていますが、それが何に役立つから人がそれを生み出したのか? は理解していません。
ボールや、眼鏡、自動車の区別はできますが、それが何の役立つかの理解は、それを使う人の状況や環境を把握できなければならず、まだ、少し先の話になりそうです。
他方、計算により方向性を生み出せるものについては理解できます。
例えば、チェスや将棋のように相手の王様を倒すことがゲームの目的であれば、理解できます。数百・数千・数万通りの選択があったとしても方向性が分かっていれば、目的に到達することができます。
しかしながら、人の営みの中の目的は手法が見当たらない場合があります。『のどが渇いているから、飲み物が欲しい』という状況で喫茶店に入った場合、メニューの中から人は選びます。
『識』はこの選択となります。美味しいものが欲しいと言ってもあまりにも主体的過ぎます。プログラムでは判断できません。また、本人が思い描いた商品がなかった時は、システムは選択できません。
『識』は心の判断になり、『今日は今まで飲んだことのないものを頼んでみるか?』という気分を優先し選択することができます。

さて、五感に絡む表現として、六根清浄という言葉もあります。
これは、六根というのですから、6つの器官を指しています。眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)と意識です。

物体は『色(しき)』と表現されることは前回、ご案内した通りです
。色を把握するのが眼となり、色が脳に伝わり物体を認識することを眼識とも言います。

六根の五感の器官の関係を並べると眼は色、耳は声(しょう)、鼻は香(こう)、舌は味、身は触(そく)となります。
各々が眼識、耳識、鼻識、舌識、身識という言葉が、各五感器官が神経を通じてその内容を把握した状態を表現しています。それを心で感じ取り何かを『思い』『行動を促す』のが『意識』となるわけです。

六根清浄とは、行動や思いに繋がる『六つの根』を清浄に保つ頃で、良い行いができるたとえとなります。

ここで『あれ??』と思うのですが、『人工知能』といわれる『脳の機能』というものは、どこにいってしまったのであろう?? ということなのです。

仏教においては、あくまで脳は、機能の一部でしかないのですね。五感機能の延長、想(=神経を通じて送られた情報)されて、行(=対象物が何であるかを把握・認識)されるのが、脳の機能と思われますが、ただの機能とされていて、社会的にAIと大騒ぎされるほどの重要視されたものではないのです

脳は、機能でしかなく、物事の判断は、道理を理解、世の中の法則である『法』に近づいた『意識』で判断することが大事であるとしています。

心が痛いと言って、頭を抑える種族は世界中を探してもいません。誰もが胸を抑えます

当社が目指すAIで『事件事故を未然に防ぐ』ことを実現させていくには、正確に精巧に映像などの人の五感の情報をCPU、もしくは整然とデータベース化されれば、実現できるものと感じています。
理由は、脳は、機能でしかないからです。確かに複雑で複合的な処理をすることはありますが、あくまで機能です。
精巧な情報があれば、正確な答えが導き出せるはずです。

AIは人としての意識(五感における体験をした知識と判断)を持つことはできません。
そのためにAIにおける『識』はあいまいなものになります。『識』は、最後は人が心を持って対処すべきです。

当社が小売業で実行しているAIカメラが不審者を探知して、通知し人が心(識)を持って『お声掛け』をして万引きを未然に防ぐ仕組みは、AIと人の行動の融合の第一歩の手法であると私は信じています。

2020.11.27

色受想行識 六根清浄 AI五感カメラ(前編)

アースアイズの事業テーマは、抑止・予防です。事件・事故を未然に防ぎたいという思いで創業しました。
AIカメラはあくまで、その目的を達成させるための手段にすぎません。
創造されるAIカメラは、五感機能を兼ね備えたものが必要であると思いました。
それは、人間が危険を察知するのに必要な機能だからです。
人工知能といわれるAIを人間の部位に譬えると、脳ということになるでしょう
人間の脳は頭蓋骨の中にあり、外界の接点・情報の取得は、五感によるものしかありません。つまり、見る・聞く・味わう・嗅ぐ・肌で感じるなどの機能がなければ、脳の成長はありません。
脳へのアクセスがなければ、本能部分しか機能できません。人としての営みは、ヘレンケラーのサリバン先生のような人が必要です。
仮に、五感が優れていても、良いことばかり聞けば、その方向に、悪いことばかり聞けば、その方向に人は判断し進むだけです。
百聞は一見に如かずとはよく言ったものだと思います。
AIも同じことが言えます。AIに外観の接点である映像、音声、音源、におい、温度などを正確に伝えることができれば、その内容を把握できます。今のAIシステムは、まだまだ、誤検出があります。これは、AIの能力が低いのではなく、AIにとっては、情報があいまいで、足りないためです。人間との違いは、あいまいなデータでも、膨大な量で補完して、学習機能を高めることができるということです。人間は長年に蓄積された経験で判断しますが、コンピュータは、短期間で膨大な量を黙々と24時間処理をして学習してくれます。ただ、これは、コンピュータが処理をするために必要なもので、人間の経験値を補うものではなく、あくまで、『検出するため』の情報です。五感経験値を持っていないAIは1万枚もの写真を必要としていますが、あくまで、それは、色情報から判断した客観的な物体でしかありません。人間の犬と戯れた五感経験で覚えるものとは、まったく次元の違うものです。
仏教では、人が物を把握する流れとして色受想行識として表現されています。色・受・想・行・識でおのおの意味があります。
色は、物体そのものを意味します。世の中の物は『色』と表現されます。カメラの分野でも映っている物体は色の光の三原色RGB(red、green、blue)の色の濃淡で、白や黒も表現されているだけで、物体はあくまで色だけで表現されます。
受は、目が物体を視覚で捉えることです。例えば、ペットボトルを目で捉えることが受です。
目の網膜にその物体が映し出されるだけです。この時点で、受は何も物体区分をしていません。客観的に物を捉えるだけです。
想は、その『受』された情報が、神経を通じて脳に送られることを想といいます。脳で、何か物体を考えることを想像というのは、送られた物体の像を想うことですね。
行は、その物体の用途・内容を把握することです。ペットボトルは、水を入れるものであるという存在の意味を把握します。人間が作った人工物には、全てのものに目的があり作られています。
そして識は、そのペットボトルを利用して、自分が何に使うかを判断することです。のどを潤すのか? 人に飲み物を渡すのか? また、水を汲む道具として活用するのか? 自分の経験、知識からどのように活用するかを考えて、判断をするのが、『識』となります。
仏教では一つの間違いもなく全てのことを把握し、より良い方向に導いてくれる人のことを『善知識』といいます。『識』は、よりよい判断をするための経験値といえると思います。
カメラに、上記の色・受・想・行・識の5段階があるとしたら、受・想しかありません。物体を画面に映し出すだけのものです。映し出されたものの判断『行』『識』は、それを見た人間に任せるのがカメラのミッションとなります。
そこに、AIカメラなど脳が少し加味されてくると、色・受・想・行まではできつつあると言えますが、それを経験の中から活用する『識』まではできていないというところだと思います。
AIカメラは、受で映像(画像)を把握して、脳に送る(想)ことで物体(色)を認識します。物体を認識できれば、その用途(行)は(データ上)理解できます。
もし仮に、物の理解・勉強するだけ、単語を覚えるだけであれば、色・受・想・行までで目的は達成すると思いますが、『識』は人が行動するための知識を活用することです。コンピュータが識を意識できるようになるのは相当先の話だと思います。(次回の後編に続く)
2020.11.02

さぁ 早慶決戦だ 伝統の血

1988年 石井連蔵監督は、早稲田の第14代監督として26年ぶりに再就任しました。私は大学2年の冬、3年に進級する年です。
石井連蔵監督のその厳しい練習は、当時の私たちにも語り継がれていました。炎のような鋭いノックの嵐で、それを受ける選手が、じりじりと後ろに下がってしまう。それを追い詰めるように監督は一歩一歩、前に出る。そのうちに、ノックをしながら、グランドを一周してしまった(笑)とか、、、練習中に42.195キロを走らされた。。。とか、その伝説には、尾ひれ背びれが付いているとは思われますが、とにかく伝説中の伝説の監督です。
その人が、低迷する早稲田の切り札として26年ぶりに再就任されることになりました。

石井連蔵さんが監督になられるときは、確か、雨か雪か? が降っていて、東伏見の食堂で石井連蔵さんを迎えることになったと記憶しています。私たち選手は、その伝説の人のお話を興味半分、恐怖半分で席について待っていました。当時、OBの話はとにかく長く、前監督のお話もとても長かった(笑)ので、選手はその部分でも覚悟をして待ち構えていました。
石井連蔵監督は、現れるとお話をし始めました。
その姿は、大柄なお姿とは裏腹に、控えめで我々に気を遣っているようにも見えました。
ただ、その言葉は、はっきりと伝わりました。
『君たちには、早稲田の血が流れているんだ。私にも、君たちにも。同じ血が流れているんだ』
早稲田の血という言葉を意味はすぐには把握しづらい言葉でしたが、勢いは理解でき、頷いていたのを覚えています。新監督のお話は良い意味で期待を裏切り、ほんの数分でした。
後に石井連蔵監督が、TVのインタビューに応えている映像を観ました
聞き手の人が、『昔の選手と今の時代の選手は、やはり違いますか?』という質問に対して
『今も昔も変わっていませんね。それぞれ伝統の血が流れている。いつの時代でも流れている。早稲田もやはり、早稲田の血が流れているのです』と応えています
さらに聞き手の『早稲田の血とは何ですか?』という質問に対して
『やはり、一生懸命に野球をやろうじゃないかと。真剣にやる人だけが持てる特権は、分厚い壁なのですよね。それを自分の力で破っていこうと。それが早稲田の野球だし、もし仮に監督に仕事があるのであれば、そのような壁を作る環境の整えてあげることが監督の仕事です。』と応えていらっしゃいました。
早稲田の血を引き継ぐ、私の同期の小宮山監督が、この秋、負けなしの早稲田と負けなしの慶応で優勝を競い合います。
私たちの血も湧かしてほしいと思います。
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