あり得ないなんてあり得ない(均一化させる罪)
人は確かなものが大好きです。特に会社や仕事の分野になってくると、確かなものを追いがちです。
ただ、確実なものを追い求めると、変化を嫌うことにつながりやすくなります。私は、これが日本のDXが遅れている要因の一つだと思っています。
確かなものを求める心は、自分を一般的なことや『こうあるべきだ』と当てはめていく傾向があると思っています。
先人の言い伝えを学ぶことは、大事なことであるのですが、自分のシチュエーションが本当に同じ環境になっているのかの確認が必要です。
想定外、予想外のことは、必ず起こります。今回のコロナも、大型台風も、地震も想定外のことが毎年起こっています。
これを統計で算出していたのなら、世の中はもう少し安定した社会になっていたでしょう。
確かなものなど、存在しないのに平均的なことを不変なことと思いがちで、そこに安心を求めます。
場合によっては、他人(他社)が実行していることを受け入れるとそれが確かものであると思いがちです。自分が個性を否定されて均一化されることは拒むのに、飛びぬけて『変な人に』なることも恐れます。
人間を均一化するのは実際には難しいことです。
プロ野球選手は、当然、野球の才能があり、それでプロとして仕事をしているのですから、平均どころか飛びぬけた存在でしょう。しかしながら、彼らにピアノを弾かせたら平均よりも下手かもしれません。タクシーのベテラン運転手であれば平均より、間違いなく道を知っているでしょう。また、絵の才能などといったら、平均との比較などは、まったく意味がないことでしょう。人を均一化するなどは、あまり意味のないことであると思います。
人が均一化を求める、月並みかを称賛するのは、自分の努力がどのような結果に行きつくのか分からないために、その勝負に賭けられないというのが実情なのでしょう。
つまり、そこに努力の結果を見せることがとても重要になってきます。
ダイエット効果を目で見て分かるようにした『ライザップの手法』は日本の社会に大きな影響を与えていると思います。食事制限と運動が、ダイエットに効き、それは、自分の努力で変えられることを目で分かるようにしました。
それ以前までは、ダイエットは、『体質によるもの』(それはそれであるとは思いますが)という概念が根強く、努力をしても万人に受け入れられるものではないと思われていたし、何よりもパーソナルトレーナーなどつけてダイエットをするなど芸能人以外考えられなかったのが、今では、一般人でも当たり前になりつつあります。それを信じてもらうためにも彼らは、『返金制度』まで設けました。
今では、誰でも努力をすれば、痩せられるというのが、社会の常識として受け入れられてきていると思います。
人の目に何を映し出すか? 不確実なことが現実になれば、それは、確率論ではなく、現実として受け入れることができるようになると感じています。