サブロー通信

サブロー通信は、アースアイズ代表 山内三郎が配信するメルマガです。
本ページでは、2019年4月〜現在までのサブロー通信をご覧いただけます。

2024.10.03

言い訳ばかりのわたし

「簡単ではないかもしれない。でもそれは”できない”という理由にはならないんだ。」

これは、野球界の伝説、ベーブ・ルースの言葉です。困難な状況に直面しても、やるべきこ
とから逃げず「できない」と言い訳をするのではなく、前向きに挑戦し続けることが大切だ
と、この言葉は教えてくれます。

「ああ、遅刻してしまった」
「仕事のタスクを忘れてしまった……」

こんな時、私の頭の中にはすぐに「もっともらしい言い訳」が浮かんできます。私も何度も
この誘惑に負け、言い訳をしてしまうことがありました。ミスを正当化して自分の価値を守
ろうとする一方で、実はその行為がさらに自分を苦しめる結果になることに気づくことも少
なくありません。

言い訳をすることで一時的に他人に対して自分をよく見せられるかもしれませんが、最終的
には自分の内面に負担が残り、自分の価値を下げてしまいます。「できなかった」と認め、
その失敗から学び成長する姿勢こそが、真の強さであり、成功への近道なのは分かるのです
が、凡人の私にはそれが容易ではありません。

例えば、大谷翔平選手の姿勢には本当に感心させられます。彼は類まれな才能を持ちながら
も、常にさらなる高遠の理想を追い求めています。そのストイックさは本当にマネできるも
のではありませんが、見習うべき点は多いです。

失敗は誰にでもあります。しかし、大切なのはその失敗にどう向き合うかです。言い訳を超
えて、「次はどうすればうまくいくか」と自分自身に問いかけることが、成長の第一歩です。
成功者たちも、多くの失敗を重ねながら、そのたびに自分を振り返り、前に進み続けた結果
として今の地位を築いているのです。

継続は力なり・・・・

言葉は簡単に出ますが、成功者と言われる人が、注目される時点で、その継続性の難しさが
分かります。

私のような失敗者が、まず行うべきことは「自分に正直になる」ことです。遅刻してしまっ
たなら、まずは素直に謝ること。そして、同じ失敗を繰り返さないためにどう改善できるか
を考えることが必要です。言い訳をせず、次に進むための行動を起こすことで、自分の価値
が少しずつでも高まっていくと信じています。

今日も、小さな言い訳を乗り越え、自分の成長のために一歩を踏み出していきたいと思いま
す。

2024.10.01

心を救うパーソナルAIセキュリティ

AI技術が進化し、ChatGPTのような会話型AIが身近なものとなりました。私も日々の仕事に
AIを活用し、効率を上げることが当たり前のようになっています。また、自然言語で動画を
検索できるなど、AIの進化は目を見張るばかりです。しかし、この急速な進化の中で、まだ
満たされていない部分もあると感じています。それは「パーソナルなAI」の開発です。

現在のAIは、確かに汎用性が高く、多くの情報に対応することができますが、個人のニーズ
や感情にしっかり寄り添う部分ではまだ課題があります。私たちの一人ひとりが持つ特有の
ニーズや価値観に応じて、AIが具体的にサポートするには、もう少し個別化が必要です。最
終的に自分自身で判断しなければならないことが多いのは、そのためです。

私が考える「パーソナルAI」は、個人のDNA情報や日々の習慣、会話の記録を活用して、個々
人の性格や健康、ライフスタイルにぴったり合ったアドバイスを提供するものです。AIがあな
たを深く理解し、何でも気軽に相談できる存在となる–そんな未来が現実になるのも、そう遠
くないのではないでしょうか。

パーソナルAIの最大の価値は、選択肢を減らし、心の負担を軽減することにあると思います。
日常の中で、私たちは多くの選択に直面しますが、時にその選択が重くのしかかり、心に負担
をかけます。AIがその選択をサポートし、より良い方向へ導いてくれることで、心をすり減ら
さず、前向きに進んでいけるのではないでしょうか。

私たちが日々抱えるストレスや心の痛みを軽減し、ポジティブな選択を後押ししてくれるパー
ソナルAI–その実現は近い未来の話かもしれません。心を救い、生活を豊かにするためのAIの
進化に、期待が膨らみます。

2024.09.24

成功に近道はない

失敗をしたら、その原因を突き詰めて、同じ失敗を繰り返さない組織を作り上げることが、
成功への礎となります。これを言葉にするのは簡単ですが、実際に実行するのは決して容易
ではありません。しかし、どんな言い訳も無用です。私たちは、その困難な道を歩み続けな
ければならないのです。

失敗は誰にでもあります。それを恐れていては何も始まりません。大切なのは、失敗を突き
詰める勇気です。私たちの社会は、自分にも他人にも失敗の原因を突き詰めない条件を作っ
てしまっている気がします。

苦しいときに、上を向いて歩きたいものです。致命傷にならない限り、必ず、次があります。
失敗を糧にして、それをどう次に活かしていくかです。私自身、何度も失敗を経験し、その度
に反省し、改善を重ねてきました。時には、失敗が重なることで、心が折れそうになることも
ありましたが、その中で学んだことは、「成功に至るまでのプロセスには近道がない」という
ことです。

失敗をもうこれ以上繰り返したくないと本気で思えることが、次のステップの必死さに繋がる
のであると感じています。

例えば、AI事業を進める中で、膨大なデータを集め、学習を進めてきました。最初は、膨大な
量の情報があればそれでうまくいくと思っていましたが、実際には、それらのデータをきちん
と整理し、良質な情報を取捨選択することが重要だと気づかされました。情報を精査し、整理
する手間を惜しんでしまえば、その後に待っているのは、失敗という結果です。

同じように、組織やチーム作りにおいても、失敗をどう反省し、改善していくかが成功の鍵で
す。失敗から学ばなければ、ただの後退です。

しかし、そこから原因を見つけ、組織全体で改善に向けて取り組めば、それは大きな前進とな
ります。どんなに小さなステップでも、失敗を糧にして進むことで、やがて大きな成功に繋が
ります。

「言い訳は無用」

私もこの言葉を胸に刻み、これからも挑戦し続けます。失敗を恐れず、その原因を突き詰め、
次に活かすことで、組織やチームをさらに強くしていきましょう。

2024.09.19

質を高めたければ、量をこなせ

AI事業を推進していると、改めて「量がものをいう」ことを強く感じます。AIの学習におい
て、膨大なデータや情報は不可欠であり、それがAIの精度を左右するのは事実です。
しかし、その「量」もただ多ければ良いわけではありません。質の高い成果を生み出すには、
目的に合った良質なデータが必要です。

例えば、AIに火災を検知させるための学習データを用意する場合、焚火の映像だけを大量に学
習させてしまうと、住宅火災を正確に検知できない可能性があります。同じ「火」であって
も、焚火と住宅火災では背景や状況が異なるため、それを区別するためのデータが必要です。
AIが正しく判断するためには、データの整理整頓が不可欠であり、適切なデータを大量に提供
することで、より精度の高い結果が得られるのです。

これは人間の学習にも通じる部分があります。良質な情報に絞り込み、それを反復して量をこ
なすことで、実力が着実に向上します。近道や効率化をうたう手法が多く目に付きますが、実
際には、質を上げるための最も効果的な手段は、目的に合った情報を反復し続けることです。
ツールによって時間を短縮することはできても、道そのものが短くなることはありません。

結局のところ、質を向上させたいならば、まずは量をこなす覚悟が必要なのです。整理された
情報を大量にこなし、繰り返し反復することでこそ、真の成長が得られるのだと思います。

2024.09.12

世界最高のピアニストと共に感じた節目

なんだか最近、人生の節目を感じています。この歳になっても「まだ節目?」という声が聞こ
えてきそうですが、それでも不思議な感覚に包まれています。先日、無性にあるピアニストの
音楽が聴きたくなり、ネットで彼の曲を探していました。そのピアニストの名前は、加古隆さ
ん。ご存知の方も多いかもしれませんが、NHKの「映像の世紀」や数々のCM・映画音楽を手
掛けてきた、まさに日本が誇る偉大な音楽家です。フランスで活動をされていた当時は、「フ
ランスで聴くことのできる最高のピアニスト」と称されていました。

実は、30年前、私は音楽の仕事に携わっており、加古隆さんのマネージャーのような役割をし
ていた時期がありました。彼の代表作「ポエジー」を聴くと、きっと多くの方が「ああ、この
曲知ってる」と思い出すでしょう。その優しくも力強い音色は、誰しも一度は耳にしたことが
あるはずです。

先日、30年ぶりに彼の曲をコンサートホールで聴きました。改めて彼のピアノ演奏を聴いた
瞬間、心の深い部分に触れるような音色が私の中に響きました。ほんの少しピアノに触れただ
けで、加古さんの音色が心の琴線に触れ、思わず涙がこぼれそうになりました。言葉では表現
できないほどの心の安らぎがそこにはありました。

今思うと、加古隆さんは私にとって、やはり「世界最高のピアニスト」なのです。彼の音楽と
出会えたこと、そしてその音色に再び触れられたことで、私にとって一つの区切りを付けられ
たように感じました。

人生の節目は、いつも予期せぬ瞬間に訪れるものです。加古さんの音楽を通して、私は再び心
の奥底から満たされる感覚を味わいました。

2024.08.22

自己成長と向き合う姿勢

「他人よりも優れた者ではなく、過去の自分より優れた者が気高い」ヘミングウェイのこの言
葉は、私にとって非常に示唆に富んだものです。私たちは日々の生活の中で、つい他人と自分
を比較してしまいがちですが、真の目標は他人との競争ではなく、過去の自分を超えることに
あると感じます。

現代のネット社会では、私たちは常に他人と自分を比較し、自分の立場や正当性を主張しよう
とする傾向にあります。自己の存在価値を確認するために、他人を批判したり、正義を振りか
ざす場面も少なくありません。特に、正義に酔いしれてしまうと、自分が正しいと信じる力が
強くなり、そのために他者を非難する行動が増えることがあります。その大衆性は、時として
大きなうねりとなり、恐怖さえも感じるほどの強さを持っています。

私自身、これまでの人生で何度も失敗を重ね、時には挫折も経験してきました。
正直に言えば、失敗の数やその期間の長さで言えば、国内トップクラスの経験の持ち主である
ことを自負しています(笑)。
失敗をうまく活かせずに、何度も同じ過ちを繰り返してきました。
しかし、最近になってようやく、失敗の度に自分を見つめ直し、昨日の自分よりも少しでも成
長しようと心がけることができるようになりました。過去の失敗と真摯に向き合うことが、今
の自分を形作っているのです。

新しい挑戦を始める時には、恐れや不安が生じることがありますが、そのような時こそ、他人
と比較するのではなく、過去の自分と向き合い、少しずつ前進することが大切です。

今日も、昨日の自分を超えるために一歩を踏み出しましょう。それが、真の成長と気高さへと
繋がる道だと思うのです。

2024.08.08

オリンピックの涙に学ぶ

現在、オリンピックが開催されています。そこで目にするのは、勝者の喜びと敗者の悔しさに
満ちたドラマです。勝者になって涙を流す人、敗者になって涙を流す人、それぞれの涙には様
々な心情が込められています。

勝者の涙には、達成感と喜びが溢れています。これまでの努力が報われた瞬間、無数の困難を
乗り越え、栄光を手にした喜びが爆発します。長いトレーニングの日々、幾度となく訪れた挫
折と向き合い、立ち上がり続けたその努力の結果が、今ここに結実したのです。
勝利を手にした瞬間、感謝の気持ちとともに、心の中に抱えていた重圧から解放され、涙が溢
れ出すのです。

一方、敗者の涙には悔しさと無念が込められています。
彼らもまた、必死に生きてきました。誰よりも努力し、誰よりも自分を追い込み、勝利を目指
してきた日々。その全てが一瞬で崩れ去る瞬間、心の中にある悔しさと無念さが涙となって溢
れ出します。しかし、その涙は決して無駄ではありません。敗北の悔しさを経験することで、
彼らはさらに強くなり、次の挑戦へと向かう力を得るのです。

オリンピックのレベルとは異なるので、事例を出すのもおこがましいのですが、私も大学時代
に野球で味わった経験があります。試合で勝った時、一人だけ泣いたことがあります。私は大
学野球の守備要員でベンチに入っていましたが、立教戦でのことです。試合は緊迫した0対0の
まま進行し、立教が攻めている時に0アウト、フォアボールでランナーが出塁しました。9回表
に左バッターの矢作選手(のちに日本ハムに入団)が打席に立ちました。
監督は突然、レフトを交代させ私がフィールドに入りました。心臓がバクバク、緊張の中、私
の守るレフト前に流し打ちが飛んできました。私は緊張しながらも1塁ランナーがヒットエン
ドランで三塁を狙って走っているのが見えました。

正面のライナー性のゴロで直感的に三塁に送球すれば刺せると感じましたが、ランナーに気を
取られた私はボールをしっかりと落ち着いてみることができず、イレギュラーすることが無い
人工芝でのバウンドを合わせられず、なんと、エラーしてしまいました。結果、ランナーはホ
ームインし、1点を失いました。この失点は非常に大きく、投手は何とか1点で抑えましたが、
最終回しか残っていませんでした。ベンチに戻ると私は一度、ベンチ裏に入りましたが、先輩
に促されてベンチの前にでて応援に出ましたが、声は出せず祈るだけでした。早稲田の粘る攻
撃で、粘りに粘り、2アウト満塁まで来ました。そこで代打に出された岩本先輩が、見事にサ
ヨナラヒットで逆転勝利を収めました。

私には、岩本さんが、ヒットを打った光景をいまだに鮮明に思い出せます。
そのあとは泣きながら、まったく歩けず、試合終了の挨拶でホームベースまでたどり着けず、
先輩に肩を抱かれて整列しました。あまり覚えていません。もし負けていたら、どうなってい
たのか想像もつきません。

オリンピックは、勝者と敗者の感情が交錯する場所です。勝利の喜び、敗北の悔しさ、それぞ
れが必死に生きてきた証です。どちらの涙にも、彼らが歩んできた道のりと、その中で経験し
た全ての感情が詰まっています。その瞬間、彼らの人生の一部が形となり、私たちに感動を与
えてくれるのだと思います。

2024.07.04

大企業に起業家は必要か?(日本のDXの遅れの理由)

一昔前に比べて、大企業で「偉人」と称される人物が、随分と少なくなったように感じます。
かつては大企業の中にも尖った個性を持つ人物や、「出る杭」と呼ばれるような挑戦的な人が
多く存在しました。しかし、現代ではルールやコンプライアンスといった規範によって、その
ような人材が取り締まられ、活躍の場が限られているように見受けられます。

尖るということは、ただ無駄に突っ張ることではありません。筋の通った主張や行動を持つ
「ツッパリ」が求められます。イノベーションとは、自社のサービスや商品を社会の変化に適
応させ、さらに発展させることです。そのためには、組織変革が必要です。社内の体制だけで
なく、社会の体制も変えていくことが求められます。

このような変革を実現できるのは、一本筋の通った「変人」と言われるような人物です。彼ら
は既成概念を打破し、新しい価値を創造する力を持っています。しかし、残念ながら、現在の
大手企業にはそのような風土が薄れているように感じます。私がその理由と思えるのが、日本
のDX化の遅れです。

AIの改革など、大手企業であれば多くの改善点がすぐにできるはずなのに、外部に新規事業を
求めます。内部をDX化するだけで、どれだけの変革が生まれるか計り知れない大企業が山ほど
あります。この遅れは、尖った人材が大企業にいなくなってきていることの表れのように思い
ます。

大企業には、規範やルールが必要であることは確かです。しかし、その一方で、イノベーショ
ンを起こすためには、規範に縛られない自由な発想と行動力を持つ起業家精神が必要です。現
代の大企業において、果たして憧れの上司と呼ばれるような人物がどれほど存在するのでしょ
うか。

真の変革を求めるならば、大企業は起業家精神を持った人材を育てそのような風土を再び醸成
する必要があります。組織の安定とイノベーションは相反するものではなく、両立することで
初めて、持続可能な発展が可能となるのです。

2024.06.12

深く考える耳順の年齢

私は、この6月で59歳になります。50歳の時、「天命を知る」という言葉に触れ、その意味を
自分なりに理解しようとしてきましたが、未だにその真意に完全に納得しているわけではあ
りません。しかし、納得のいく言葉です。

「耳順(じじゅん)」という言葉をご存知でしょうか?論語の「六十にして耳順う」という一
節に由来します。これは、人が60歳になると他人の言葉を素直に受け入れることができるよう
になるという意味です。昔は「数え歳」で年齢を数えていたため、現在の59歳が当時の60歳に
相当すると考えることができます。

他人の言葉を素直に受け入れるには60歳が必要だということは、人間の成長には時間がかかる
という示唆でもあります。孔子のような歴史的な大人物がそのように説いたことを考えると、
私のような凡人はまだまだその境地には達していないかもしれません。この「耳順」という概
念には、さらに深い意味があると感じるので、もう少し掘り下げてみたいと思います。

他人の意見を受け入れることは、単に言葉の内容を理解するだけではなく、その人の態度や長
年の関係性、そして言葉に込められた背景まで含めて考慮する必要があります。好きな人、嫌
いな人、苦手な人、若い人、年寄り・・・・言葉の意味や内容が同じでも、説明の仕方や話す
順序によって受け取り方が異なり、結果として受け入れにくい場合もあります。

耳順とは、これらすべてをひっくるめて、他人の言葉に「耳に順う」ことができる姿勢を表し
ていると思います。このように考えると、耳順とはまさに聖人の境地であり、他人の言葉を完
全に受け入れるには修養が必要です。

ある時、「アングリーコントロール(怒りのコントロール)をどのようにしていますか?」と
質問されたことがあります。私は、「怒りも神がくれた重要な感情の一つとして考えれば、コ
ントロールする必要はないのではないか? 大事なのは、その感情の裏にある真実を理解する
ことだ」と答えました。しかし、耳順の年齢に近づく今、もう一歩深く考える必要があるかも
しれません。

耳順を迎える私たちにとって、他人の言葉や感情を理解し、受け入れる能力は非常に重要です。
これからの一年、私もさらに修養を積み、真の耳順を目指していきたいと思います。

2024.05.30

人は顔つきを創る経験をする

人間は生まれ持った顔つきと、自分で築いてきた年輪のような顔つきとを持つらしい。それ
らは全く異なるものであると最近やっと感じるようになりました。確か五木寛之さんの『青
春の門』でこのことについて読んだことがあります。当時は中学生くらいで、「フ~ン」と
軽く受け流してしまいましたが、心のどこかにその言葉が刻まれたのでしょう。

そのことを思い出したのは、先日の東京六大学野球の早稲田対明治の試合中継で、小宮山監
督のアップが映し出されたときでした。口元がへの字に少し曲がり、選手を見るその顔全体
の雰囲気がまさに「顔つき」として表現されてよいもので、我々の恩師であり監督だった石
井連蔵さんに似ていると感じました。

私の会社の執務室には、石井連蔵氏の写真が飾ってあります。監督の経験を感じさせる「顔
つき」の写真を毎日見ていると、自然とその顔つきが創られた意味を考えさせられます。

監督にはよく怒られました。怒られた理由は「真剣さ」が足りないというものがほとんどで
した。監督は「真剣さ」を異常なほど追求する人で、その厳しさは並大抵のものではありま
せんでした。これでもか・・・と真剣さを要求される練習は、当時の私たち学生にとっては、
ついていくことにただただ必死だったように思います。

何かに取り組んでいる人は、その取り組みが顔つきに表れます。私も年齢を重ねる中で、そ
のことを実感するようになりました。努力や情熱、苦労といったものが顔つきに反映される
のでしょう。

今後も良い取り組みを続け、真剣に生きていくことで、自分の顔つきに自信と誇りを持てる
ようになりたいと思います。顔つきは人生の歩みを映し出すものであり、それを創るのは自
分自身の経験と努力に他なりません。

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