『プライド』
この言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
高級ブランドの服に身を包むこと。 誰もが羨むような高級車を乗り回すこと。
あるいは、派手な異性関係を誇示すること。
一見すると、これらはその人を「偉く、強く」見せるための行為のように思えます。
しかし、私はふと、ある疑念を抱くのです。
それは、自信のなさの裏返しに過ぎないのではないか、と。
臨済は、修行僧たちが経典や仏像といった「形式」ばかりに囚われ、自分自身の目で見たもの
かの英雄ナポレオンですら、自分の身長の低さにコンプレックスを抱き、あえて自分を大きく
見せるような肖像画を描かせたと言われています。(もちろん、政治的な意図もあったでしょ
うが)。歴史に名を残す英雄でさえ、何かしらの劣等感を抱え、それを隠そうとしていたので
す。そう考えると、私たちが自分にコンプレックスを持つのは当たり前だし、その弱さを着飾
って隠そうとするのも、無理のないことなのかもしれません。
では、着飾ることで生まれるのが「見栄」だとしたら、「本当のプライド」とは一体何なので
しょうか。
私が思うに、本当のプライドは「他人との比較」の中には決して生まれません。
「あの人より良い車に乗っている」
「あいつより金を持っている」
そんな他人軸の物差しで測っているうちは、それはただの虚勢です。
本当のプライドとは、「はだかの自分」と向き合うことではないでしょうか。
子供の頃、おねしょをして泣いた自分。人前で恥をかき、顔から火が出るような思いをした自
分。情けなくて、弱くて、どうしようもない自分。
そんな、決して格好良くはない「ありのままの自分」を知り尽くした上で、それでも逃げずに、その自分と全力で戦い続けること。
昨日の自分より、少しでも前に進もうと足掻くこと。
他人に見せるための鎧ではなく、自分自身を鼓舞し続ける魂のあり方。
それこそが、男が持つべき本当の「プライド」なのだと、私は信じています。


