サブロー通信は、アースアイズ代表 山内三郎が配信するメルマガです。
本ページでは、2019年4月〜現在までのサブロー通信をご覧いただけます。

2025.10.24

熊の発見 〜AIの目が守る暮らし〜

最近、「また熊が出た」というニュースを聞かない日はありません。
山だけでなく、民家のすぐそばまで出没するケースも増えており、人が襲われて亡くなるとい
う痛ましい事故も起きています。

これまで熊の目撃情報は、住民の通報や目視によるものでした。
しかし、限界があります。発見が遅くなれば、その分だけ危険も増します。

■ AIカメラで“熊の予兆”を捉える

当社では、防犯や火災検知のために活用してきたAIカメラ技術を、この“熊の出没検知”にも応
用できないかと考えています。山沿いや民家の周囲、通学路などにAIカメラを設置し、熊と思
われる動物の動きをリアルタイムで自動検知。

検知した際には、以下のようなアクションが即座に行われる仕組みです。

《AI熊検知システムの流れ(構想)》
・AIカメラが熊を自動認識(体格・動き・色など)
・クラウド・エッジ処理で“熊”と確定判定
・民家や地域のスピーカーへ自動音声で警告放送
・登録住民にLINE/メールなどで即時通知
・役所や消防への通報と履歴保存

このように「発見→警告→通知→記録」がすべて自動で行われることで、人命を守るための
“先手の安全”が実現できます。さらに、遠隔でも様子を確認できることで、高齢者世帯や子育
て家庭にも安心を届けられるはずです。

■ なぜAIなのか?

熊の出没は予測が難しく、昼夜問わず、しかも一瞬です。
人間の目や通報に頼るだけでは、どうしても“後手”に回ってしまいます。
AIであれば、夜間の赤外線カメラ映像でも熊を判別でき、人間では見逃してしまう動きも、高
精度で捉えることができます。
さらに学習を重ねることで、熊と犬の違い、タヌキとの区別などもより正確に判断可能になり
ます。

■ 地域の防災インフラとして

私たちはこの仕組みを、単なる“動物検知”ではなく、地域の防災インフラとして活用したいと
考えています。熊だけでなく、土砂崩れや火災などの予兆をAIで察知し、人と暮らしを守る目
として、AIが地域に溶け込んでいく未来を描いています。

「自然と共に生きる」ことが見直されるいま、技術と知恵で、共存の道を切り開いていきたい
ものです。

2025.09.25

ネットで叩かれる「老害」って何だろう?

こんにちは、皆さん。
ネット上でよく見かける言葉の一つに「老害」がありますよね。
年配の人を批判的に指すこの言葉、SNSや掲示板で頻繁に使われていますが、ちょっと気にな
りませんか?過去の実績がある人を、簡単に「老害」とラベル付けして排除し、自分が優位に
立ったかのように振る舞う人を見ると、私は正直、嫌悪感を覚えます。

でも、ただ嫌いだと言うだけでは前向きじゃないので、今日は「老害」とは何かを一緒に考え
てみましょう。

私の視点から、まとめてみました。

まず、「老害」の本質って何だと思いますか? 私は、自分の経験値だけに頼って物事を決め
つける人、相手の話を聞かずに自分の意見を押しつける人だと感じています。例えば、若い人
のアイデアに対して「それはうまくいかないよ」「昔はこうだったから、この通りにやりなさ
い」と、相手の可能性を踏みつぶすような態度を取る人です。経験は確かに貴重ですが、それ
がすべてを支配してしまうと、周囲を窮屈にさせてしまいますよね。

身近にそんな人、いませんか?
職場の上司や家族の年長者、時にはコミュニティのリーダー的な存在で、過去の成功体験に縛
られて新しい変化を拒否するタイプ。ネットで叩かれる「老害」は、こうした行動が目立つ人
を指していることが多いようです。一方で、年齢を重ねても新しい情報を貪欲に取り入れる人
は、全然違います。過去の栄光を自慢したり、自分中心の話に終始したりしないんです。むし
ろ、好奇心旺盛で、周囲をインスパイアしてくれる存在ですよね。

結局のところ、自分の成長を常に求めている人は、「老害」にはならないんじゃないでしょう
か。常に何かを考え、新しいものを生み出そうとする姿勢があれば、年齢なんて関係ないはず
です。経験を活かしつつ、柔軟にアップデートしていく。それが、老害にならないコツかもし
れません。

皆さんはどう思いますか?
今日のサブロー通信はここまで。次回もお楽しみに!

2025.08.15

広陵高校ヘの正義

ネットで「正義」を語る声は、毎日どこかで聞こえてきます。
社会をより良くしようとする意見は大切ですが、その声に違和感を覚えるのは私
だけでしょうか。

自分で60歳の自分になることは、想像していませんでした。「まぁ、よく生きて

昔、帰りの電車での出来事です。
満員電車に、5、6人の大柄な外国人の若者が乗ってきました。かなり酔っていて、
大声で騒ぎながら、まるでピンボールのように人にぶつかっては跳ね返る遊びをし
ていました。

周りの人たちは、迷惑そうにしながらも、怖さからか誰も目を合わせようとしませ
ん。私は英語でどう注意すればいいか?などととメンドクサイことを考えながら彼
らを注視していました。そのうちの一人が女性のカバンに手を入れ、財布を盗もう
としているのを見つけました。

私はとっさにその犯人の手を掴もうとしましたが、手が滑ってしまい、捕まえきれ
ませんでした。払われた拍子に、再度を捕まえようとして思わずその相手の後頭部
を殴ってしまったのです。

犯人は大柄外国人の陰に隠れ、私は周りを大柄な男たちに囲まれましたが、なぜか
冷静な私は、彼らが手を出してこないのがわかりました。ただ、私を助けようと声
をかける人もいませんでした。


別の日の朝の出来事です。各駅停車の満員電車で急行待ちのため、しばらく停車し
ていました。私は電車の中に押し込まれて窓の外を見ると、ホームで女性が突然、
危険な倒れ方をしました。

驚いたことに、誰も電車から降りて助けようとしないのです。私は電車の中から人
をかき分け、ホームに降りて彼女に声をかけ、駅員さんを呼びました。
その時、電車の中から無言で私や倒れた女性を眺めている人たちになんとも言えな
い違和感を覚えました。

以前、痴漢にあった女性が「誰も助けてくれなかった」と話していたことも思い出
しました。


ジャニーズ事務所やフジテレビの問題も、関係者は多くの人が知っていたはずです。
それにも関わらず、目の前で助けを求めている人に目を向けず、見て見ぬふりをして
きた人たちが、今になって顔も名前をもわからない人のネットの意見を「そうだそう
だ」と騒ぎ立てる。そこには、嫌みや妬み、今まで言えずに、ため込んだものを転嫁
しているにすぎません。

広陵高校の野球部のように、寮生活で「それが普通」とされてきた中で、「それは間
違っている」と声をあげるのは、本当に難しいことです。弱い自分は、その場の空気
や雰囲気に流されて、一歩間違えば加害者になってしまうかもしれない。それは誰に
でもある可能性です。

本当に大切なのは、ネットで正義を叫ぶことではなく、ごく普通に目の前で困ってい
る人に手を差し伸べる勇気を持つこと。その勇気を持つために、私たちは日頃から自
分自身の心と向き合う必要があると思います。

2025.07.15

サブロー! 誰にでも一芸があると信じる あなただけの一芸、見つけよう!

「誰にでも一芸がある」って聞いたことありますか?
自分で60歳の自分になることは、想像していませんでした。「まぁ、よく生きて

なんだか素敵ですよね。

まるで、この世に生まれてきた意味がそれぞれにあるように、その人だけの特別
な才能や得意なことがある、って良い気がします。

早くからその「一芸」に気づいて、グングン成功していく人もいれば、自分の能
力が何なのかわからずに、もがき続けている人もいます。

自分の力だけで見つけ出す人もいれば、周りの反応を見ながら「もしかしてこれ
が私の得意なこと?」って試行錯誤を重ねる人もいるでしょう。

でも、どんな方法であっても、大切なのは諦めないこと!

くじけずに、たくましく、そして果敢に挑戦し続ければ、きっとあなただけの一
芸が見つかるはずです。

一緒に自分だけの輝きを探せればうれしいです。

2025.06.24

サブロー、還暦を迎える! 人生三分割にしてみた

私は1965年生まれで、本日6月24日に60歳、還暦を迎えました!

自分で60歳の自分になることは、想像していませんでした。「まぁ、よく生きて
きたなぁ」としみじみ思います。身体的能力も頭の出来も人並み程度で、特筆す
べきものは何もありません。
勉強も人並みで、早稲田大学卒業と謳っていますが、二浪の末にようやく早稲田
の最後の砦とも言われる第二文学部に合格したので、相当「人並み」です。

大学まで野球を続け、試合にも出場しました。高校時代、神奈川県の秋季大会で
優勝し、関東大会に出場しましたが、私はチームの背番号15番で、試合には何度
か出場しましたが、甲子園メンバーには選ばれませんでした。今でも人生で1度き
りの甲子園のチャンスを逃したことを覚えています。
大学でも試合に出ましたが、守備要員としての出場に留まり、どこまでも「中途
半端な選手」でした。恩師 石井連蔵監督がなぜか私を気に入ってくれていて、
3年生からベンチ入り、出場機会を何度も頂きましたが、レギュラーなどは程遠い
選手でした。

仕事においても、特別にトップセールスを記録したこともなく、ごく普通の仕事
しかできていません。

そんな普通の人間である私ですが、起業し、多くの重たいものを背負うことにな
りました。私のような平凡な人間が背負うにはあまりにも重い経験をしてきまし
た。「果たして、これほどまでの経験が私に必要だったのか」と何度も思いまし
た。何度も何度も人も社会も神までも恨むことがありました。


<人生を三分割 24年刻みで振り返ると>

【0歳~24歳:野球と学生の時代 劣等感の塊】

24歳までは、劣等感の塊でした。
私は二浪していたので、大学卒業時は24歳でした。
才能の差を痛感し、「なぜ、これだけ努力しても野球がうまくならないのだろう」
と死ぬほど悩みました。

【24歳~48歳:社会人としてもがく時代】

社会人となり、結婚し、子供ができ、そして28歳で起業。この期間は、事業に必死
で、自分自身を掴みきれずにもがいていた時期でした。人は50歳にして天命を知る
とされますが、そのための修行の期間だった気がします

【48歳~72歳(前半):48歳から60歳へ–信じることの意味を知る時間】 

アースアイズ設立--
48歳を超え、人生の前半戦が終わろうとしていました。
49歳の2014年、路頭に迷いながらも必死にもがき、2015年アースアイズを立ち上げ
ました。それから10年が経ちましたが、振り返ると「思っていることを実行できて
いない」自分がいます。その原因は、結局のところ、思いの軽さにあると気づきま
した。劣等感の塊の私は、自分を最終的に信じ切れていないのです。

「信じること」と「信じ切ること」は違います。
これからの10年、劣等感の塊だった自分から脱却し、人も自分も信じ切ることを目
標に、普通の自分から成長していきたいと思います。


【還暦って、結局なんなのさ?赤い「ちゃんちゃんこ」の謎】

還暦とは、数え年で61歳、満年齢で60歳を迎えること。
「還」という字は「還る(かえる)」という意味を持っています。
何が還るのかというと、ずばり干支(えと)が還るんです。

私たちの生活にもなじみ深い「子(ね)」「丑(うし)」「寅(とら)」といった十
二支と、「甲(きのえ)」「乙(きのと)」などの十干(じっかん)を組み合わせた
「干支(かんし)」は、全部で60種類あります。生まれた年の干支が、ちょうど60年
経つと一巡して、再び自分の生まれた干支に戻ってくる。これが「還暦」の由来なん
です。

還暦のお祝いといえば、パッと頭に浮かぶのが赤いちゃんちゃんこ。
なぜ赤なのかというと、赤色には魔除けや厄除けの力があると信じられてきたからで
す。また、干支が一巡し、生まれ変わったという意味合いで「赤ちゃんに還る」とい
う意味も込められています。「赤子」という言葉は、赤ちゃんは、お母さんの血を浴
びながら出てくるので、赤く染まっており、それで、「赤子」といわれると偉い坊さ
んに聞いたことがあります。

私の勝手な意見ですが、還暦という言葉は、「魂の循環」を意味していて、魂は、循
環するけれども、形ある肉体は滅びます。形あるものは、滅びることで、その魂を守
って次の肉体を提供する機会をつくっているのかもしれません。

「赤いちゃんちゃんこ」を着て、赤ちゃんの格好をするのは、魂の循環の準備をしろ、
肉体が切り替わり生まれ変わる。
「人間として生まれ変わる準備をしろ」ということかもしれません。


【48歳~72歳(後半):人生の仕上げへ:新たな12年の幕開け】

そして、いよいよこの60歳を迎え、新たな12年間、60歳から72歳までの「人生3分割
の後半戦」が幕を開けます。

今年(私の)干支は「乙巳(きのとみ)」です!「乙(きのと)」は、陰の木を表し、
草花やツル植物のように、しなやかで粘り強く、柔軟性を持って成長していく様子を意
味します。目立たないかもしれませんが、着実に根を張り、コツコツと伸びていく力強
さがあるのが特徴です。

十二支の「巳(み)」は、「蛇(へび)」のこと。蛇は脱皮を繰り返して成長すること
から、「再生」や「無限」といった意味合いを持っています。また、古くから弁財天の
使いともされ、金運や財運の象徴とされることもあります。

これらの意味を合わせると、「乙巳(きのとみ)」の年は、地道な努力が着実に実を結
ぶ年、柔軟な発想や対応が新たな可能性を切り開く年、そして再生や変革のチャンスに
恵まれる年(らしい・そうあってほしい)と言えます。

劣等感まみれで、どこまでも「中途半端」だったサブローが、人生の終盤戦で「信じき
る」ことで、楽しいドラマを巻き起こしたいものです。自分でもワクワクしています。
これからの12年間は、私の「集大成、そして新たな冒険の章」となるでしょう。

たとえ白髪が増え、皺が深く刻まれても、心だけはいつまでもかわりません!
失敗を恐れず、好奇心いっぱいに、この「人生3分割目の後半戦」を謳歌していきたい
と思います。

これまでの人生で培ってきた、この「中途半端さ」だからこそ見えてくる景色、経験し
てきた「重い道のり」。これらは、まさに私サブローにしか語れない、私にしかできな
いことだと確信しています。失敗も挫折も、全てが今の私を形作る唯一無二の財産です。
この「乙巳」の年、そして続く人生三分割目の24年間で、私は自分にしかできないこと
に改めてチャレンジし、その喜びを一つ一つ確認していきたいと心に誓います。それは、
きっと誰かの役に立つことであったり、新しい価値を生み出すことであったりするかも
しれません。

焦らず、粘り強く、しなやかに、自分らしい道を歩んでいきたいと思います。

2025.06.18

サブロー風進化論:ダーウィンを超えて? 魂のバトン”が繋ぐ、生命のミステリー

こんにちは、サブローです。
今日は皆さんと一緒に、生命の進化という壮大な謎について、少し思索を深めて
みたいと思います。

かのチャールズ・ダーウィンは、「最も知的な種が生き残るのではない。最も強
い種が生き残るのでもない。唯一生き残るのは、変化に対応できる種である」と
いう言葉を残しました。この言葉、とても深くて、なるほどなぁと思わされます
よね。

ただ、私がずっと心に引っかかっているのは、この「変化に対応する」という部
分なんです。一つの生命が、その一生の中で環境の変化に合わせて能力を変える…
というのは、まだ理解できる気がします。
でも、それが世代を超えて、まるで何か大きな目的を共有しているかのように、
特定の方向へ向かって自分の体形や姿を変化を続けていくというのは、一体どう
いうことなのでしょうか。

例えば、昆虫や生物の擬態です。
昆虫がまるで葉っぱそのものに見えるようになったり、魚が周りの岩や砂の色に
完璧に溶け込んだり、カメレオンが背景の色と同化したり、ましてや、あの小さ
なフグが強力な毒を持つようになり、「食ったら死ぬぞ・・・・」ってすごいで
すよね。さらには、毒蛇のように獲物を捕らえるために毒を持つとかデンキウナ
ギのように電気を発生させるとか?それは、「祈ったって出来そうもない」こと
をできる動植物がいます。

これらが、単なる「偶然の積み重ね」を世代を超えて変化を求めるだけで、でき
るようになるのでしょうか?私には、どうしてもそうは思えないのです。なんだ
か、そこには「偶然」だけでは片付けられない、何か大きな意志のようなものが
働いているように感じてしまうのですよね。

進化の過程には、きっと数えきれないほどの失敗があった筈です。でも、生き残
ることができなければ、その失敗から学ぶことはできません。しかしながら、上
記のような擬態をするのであれば、「致命傷」に近いくらいの経験をして、何と
か生き残る工夫を必死にしなければ、自らの身体を擬態化するなどはできないよ
うに思えるのです。死んでしまえば、その種のDNA等は到底引き継げません。

それなのに、どうしてあんなにも複雑で精巧な擬態や防御機能が、まるで誰かが
デザインしたかのように生まれてくることができたのでしょうか。

ある方が、こんな魅力的な仮説を話してくれました。

「もし、“魂”というものが存在して、その魂が過去の経験や切実な願いを記憶し、
次の新しい命へとその記憶を引き継いでいるとしたら…?
肉体が滅んでも、体が死んでも引き継げる魂レベルで蓄積された経験こそが、次の
世代の進化の“青写真”になっているのかもしれないよ」と。

これは、かつてラマルクが提唱した「獲得形質の遺伝」という考え方に、「魂の転
生」という、どこか懐かしくも新しい視点を加えたような、非常にユニークで心惹
かれるお話だと思いませんか?もし仮に、生まれ変わり、死に変わりしても魂は引
き継がれ、同じ生物に何度も、生まれ変わり、何度も、同じ死に方をしていれば、
「もう、同じ死に方したくない・・・」と思えれば、擬態などが生まれる気がしま
す。

遺伝子に“想い”は宿るのでしょうか?

現代科学の視点から見れば、遺伝子はあくまで化学物質の集まりであり、脳もまた、
電気信号や化学反応によって機能する生物的な器官です。
そこに「意思」や「魂」といった非物質的なものが介在すると考えるのは、少し飛
躍があるのかもしれません。

でも、私たちが生命の営みの中に感じる、あの言葉では言い表せない「何か」

–それは、今の科学的な分析だけでは捉えきれない、ミステリアスで、温かく、そ
して豊かな感覚だとは思いませんか?真実は、もしかしたら一つではないのかもし
れません。あるいは、まだ私たちの目には見えていない、もっと大きな全体像の一
部を、私たちはそれぞれ違う角度から見ているだけなのかもしれません。

大切なのは、こうして「なぜだろう?」「どうしてだろう?」と問いを持ち続ける
こと。そして、生命の持つ計り知れない不思議さ、その奥深さに、心を動かし続け
ることなのではないかな、と私は思うのです。

2025.05.09

答えを持つ生き方

私たちは毎日、何かを選びながら生きています。
朝起きる時間、昼食のメニュー、仕事の優先順位…。その選択を積み重ねて、
今の自分ができています。

先日、海外の取引先との打ち合わせの場で、印象深い出来事がありました。
私は、当社のシステムやサービスを導入するための説明を終えた後、担当者にこ
う問いかけました。

「このソリューションを導入するには、御社の組織自体も変革が必要になります。
それが可能でしょうか?」

この種の質問に、日本ではよく「上に確認します」や「検討します」という答え
が返ってきます。

私は正直、「分からない」と返ってくるだろうと予想していました。
しかし、その担当者は違いました。自分の意見として、はっきりと回答を返して
くれたのです。しかも、要点を押さえた的確な答えでした。

私は心の中で「素晴らしい」と思いました。

判断し、自分の意見を持ち、行動できる人。
この瞬間、日本企業の多くが抱える「決断の遅さ」「動きの鈍さ」「変化を恐れ
る習慣」を痛感しました。そして同時に、「こういう環境なら人は育つ」と確信
したのです。


■ 選択は文化が決める

この出来事を通じて、選択の文化的な違いについて改めて考えました。
アメリカでは「自分で選ぶこと」が尊重されます。決断は「個人の自由と責任」
の象徴。一方、アジアの文化では「家族や集団のために選ぶこと」が大切にされ
ます。決断は「和(調和)」と「全体最適」を重視する行為です。

どちらが良い悪いではありません。
人は生まれ育った文化に合わせて、選択の意味をつくっているのです。

自分の考えを持つこと。
そして、恐れずにそれを口にすること。
変化の多い今の時代、これこそが新しい「選択の力」ではないでしょうか。

2025.04.03

AIやロボットの姿

学生時代、自分の生き方を模索する中で、さまざまな疑問を抱えて日本は、手塚
治虫の影響からか、早くからロボットに関心を持ち、取り組んできた国だと思い
ます。本田技研やソニーといった企業もロボットの研究を深く行ってきました。
その基礎技術は、今では使えないかもしれませんが、アメリカや中国に技術の主
導権を握られつつあるのは、少し残念に感じます。

以前、YouTubeで立花隆さんと東大の妹尾教授が対談している動画を見たことが
あります。その中のテーマの一つに「ロボットの定義」がありました。「19世紀
に駆動式エンジンができ、20世紀には脳を形成するパソコンや、神経の代わりと
なるセンサーが生まれた。21世紀は、それらを一つに集めて制御できるようにな
ることがロボットだ」というものでした。

もしそれがロボットの定義だとするならば、二足歩行する人型のものだけがロボ
ットではありません。たとえば新幹線も、障害物を検知して自動的にブレーキを
かける機能があるため、広義ではロボットといえるでしょう。洗濯機も、一定条
件で自動的に止まるため、同様に考えられます。

この定義に基づき、私は「五感AIカメラ」という構想を考えました。
ちなみに「五感AIカメラ」は当社が商標を取得しています。人間の五感が正確で
精巧に脳に伝われば、脳は大きな間違いをせずに判断できます。つまり、正確で
精巧なデータを脳に届けることが、AIの進化において非常に重要だと私は考えて
います。

AIの進化は目まぐるしく、少し目を離すと技術水準があっという間に2倍、3倍と
進化しています。私たちが子供の頃に想像していた21世紀のような夢の世界が、
21世紀の前半で姿を現しだしています。

AIの分野は広範に渡りますが、私は「見る側」「考える側」「使う側」という三
つの視点で整理できると考えています。これは、AI技術が誰にとってどのように
関わるかで、その分類の軸も変わるという意味です。

ここで、私なりに考えを整理したAI分類表を以下に示します。
ご興味のある方は、ぜひご意見をお寄せください。

●AIの視点別分類表

1.【見る側の視点】=技術ベースの分類

2.【考える側の視点】=概念・戦略ベースの分類

3.【使う側の視点】=ビジネス応用ベースの分類

※補足:視点をまたいでつなぐ例

これから、事例なども見ていきたいと考えています。

2025.03.13

過去から学び、今を生き、未来を想う

“Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow.”

学生時代、自分の生き方を模索する中で、さまざまな疑問を抱えていました。
特に、「過去でも未来でもなく、今を全力で生きる」という考え方が強く心に残
っていました。やがてそれが「過去を反省し、未来を想い、今を生きる」という
スローガンを自分の中で掲げるようになりました。

そんな時、アインシュタインの言葉と出会い、それはまるで、自分を過去へと引
き戻すような感覚をもたらしました。アインシュタインは、過去・現在・未来を
同列に捉えていたのかもしれません。大天才である彼の言葉には、不思議な説得
力があり、私自身も強く共感しました。

当時の私は、「今を生きること」しかイメージできていませんでした。未来を考
えると不安ばかりが先に立ち、「自分が触れられるのは現在しかないのだから、
そこに集中すべきだ」と考えていたのです。不安になる過去も未来を振り払って
いました。

しかし、アインシュタインの言葉を改めて考えると、「今を生きることが、未来
の結果を生み出す」という意味が込められているように感じます。

これは、かつての私の捉え方とは大きく異なり、過去・現在・未来を一つの流れ
として捉える重要性を教えてくれました。

【過去、現在、未来のバランス】

<過去>
過去は学びの宝庫です。そこから得た教訓を活かすことで、より良い「今」を築
くことができます。ただし、過去に囚われすぎることなく、前に進む姿勢を持つ
ことも大切です。

<現在>
今、この瞬間を大切にすることが、人生において最も重要なはずです。過去の経
験を活かしながら、未来への希望を胸に、目の前のことに全力を尽くしいです。
現在は変化し続けるものであり、そこには常に新たな挑戦やチャンスを感じてい
ます。

<未来>
未来は現在の延長です。希望とは、今の生き方の延長です。それが無限の可能性
をもたらします。不確実だからこそ、夢や目標を持ちそれに向かって進むことが
大切です。未来はまだ形のないものですが、「今の選択」が未来を創ることを忘
れずに生きたいです。

【これから】
私自身、まだまだ学ぶべきことが多く、成長し続けたいと考えています。アイン
シュタインの言葉を胸に刻みながら、過去の教訓を忘れず、未来への希望を持ち、
今を全力で生きる。このバランスを大切にしながら、人生という旅を楽しんでい
きたいと思います。

2025.02.17

情熱が歴史を動かす

スティーブ・ジョブズは、「好きなことをすることで情熱が生まれその情熱が継
続性を生み出す」と語りました。彼の言葉は、単なる成功哲学ではなく、実際に
Appleを世界的企業へと導いた原動力でもあります。

ジョブズはこう言っています。

「あなたの仕事は人生の大部分を占める。本当に満足するには、素晴らしい仕事
をしていると信じられることが唯一の方法だ。そして、素晴らしい仕事をする唯
一の方法は、自分のやっていることを愛することだ。」

この言葉には、深い示唆が込められています。単なる「仕事」ではなく、「心か
ら愛せること」に取り組むことで、人生の充実度は大きく変わるのです。

【情熱が困難を乗り越える力になる】

ジョブズは、成功するためには「理性的な人なら諦めてしまうほどの困難に耐え
抜く力」が必要だと語りました。彼がAppleを追放された後も、NeXTやPixarで
挑戦を続け、最終的にAppleに復帰して革命を起こしたのは、まさにこの信念に
よるものかもしれません。

歴史を振り返ると、同じく強い信念を持った人物が、世界を変えてきたことがわ
かります。

その一人がジョン・F・ケネディ大統領です。彼は1961年に「今後10年以内に人
類を月に送り、地球に生還させる」と宣言しました。これを聞いた多くの人は
「不可能だ」と思いましたが、彼の信念がNASAを奮い立たせ、1969年のアポロ
11号の月面着陸という偉業を成し遂げたのです。

【想像力と信念が未来を創る】

ジョブズは「点と点は、いつか繋がる」とも語っています。未来は予測できない
が、信念を持って進めば、後から振り返ったときにすべてが意味を持つ、という
考えです。ケネディの月面計画も、まさにこの「点と点をつなぐ」挑戦でした。
最初から、結論を提示されながらもその目標に対して、どのようにすればよいか
の点をつないでいく。科学者、技術者、宇宙飛行士たちが、それぞれの分野で困
難を乗り越えながら協力し、ついには歴史を動かしました。

【結論:自分の信じる道を突き進め】

ナポレオン・ヒルは「心が想像し、信じられる事は、実現できる」と述べていま
す。ジョブズ、ケネディ、ライト兄弟、そして偉業を成し遂げた全ての人に共通
していたのは、「強い信念」と「情熱」でした。私たちも、自分のやっているこ
とを心から愛し、信念を持って突き進めば、いつか「点と点」がつながる日が来
るでしょう。なぜなら、情熱こそが、歴史を動かす原動力だからです。

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