サブロー通信は、アースアイズ代表 山内三郎が配信するメルマガです。
本ページでは、2019年4月〜現在までのサブロー通信をご覧いただけます。

2025.12.24

『プライド』

この言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。

高級ブランドの服に身を包むこと。 誰もが羨むような高級車を乗り回すこと。
あるいは、派手な異性関係を誇示すること。

一見すると、これらはその人を「偉く、強く」見せるための行為のように思えます。
しかし、私はふと、ある疑念を抱くのです。

それは、自信のなさの裏返しに過ぎないのではないか、と。
臨済は、修行僧たちが経典や仏像といった「形式」ばかりに囚われ、自分自身の目で見たもの
かの英雄ナポレオンですら、自分の身長の低さにコンプレックスを抱き、あえて自分を大きく
見せるような肖像画を描かせたと言われています。(もちろん、政治的な意図もあったでしょ
うが)。歴史に名を残す英雄でさえ、何かしらの劣等感を抱え、それを隠そうとしていたので
す。そう考えると、私たちが自分にコンプレックスを持つのは当たり前だし、その弱さを着飾
って隠そうとするのも、無理のないことなのかもしれません。

では、着飾ることで生まれるのが「見栄」だとしたら、「本当のプライド」とは一体何なので
しょうか。

私が思うに、本当のプライドは「他人との比較」の中には決して生まれません。

「あの人より良い車に乗っている」
「あいつより金を持っている」

そんな他人軸の物差しで測っているうちは、それはただの虚勢です。
本当のプライドとは、「はだかの自分」と向き合うことではないでしょうか。

子供の頃、おねしょをして泣いた自分。人前で恥をかき、顔から火が出るような思いをした自
分。情けなくて、弱くて、どうしようもない自分。

そんな、決して格好良くはない「ありのままの自分」を知り尽くした上で、それでも逃げずに、その自分と全力で戦い続けること。

昨日の自分より、少しでも前に進もうと足掻くこと。

他人に見せるための鎧ではなく、自分自身を鼓舞し続ける魂のあり方。
それこそが、男が持つべき本当の「プライド」なのだと、私は信じています。

2025.12.17

「仏に逢うては、仏を殺し」~ 固定観念という“偶像”を壊す勇気 ~

少し過激に聞こえるかもしれないのですが、禅のある言葉をご紹介します。
それは、「仏に逢うては、仏を殺し(逢仏殺仏)」という言葉です。

「仏様を殺すなんてとんでもない!」と思われるかもしれませんが、これは中国唐代の
禅僧・臨済義玄(りんざい・ぎげん)が残した、非常に本質的な教えです。

私の勝手な解釈ですが、ここで言う最初の「仏に逢うては、」の最初の仏と後から出てくる
「仏を殺し」の仏は違う対象を指していると理解しています。

最初の「仏教の中にある本物の真理」を指し、「仏を殺し」は自分の頭の中で作り上げた
「仏=真理の固定観念」を指すのだと思います。

逢仏殺仏は、「真理を見出す機会に本当に恵まれたならば、今までの固定観念を完璧に捨て
て、その真理に委ねなさい」という意味(山内の私訳)だと勝手に感じています。

臨済は、修行僧たちが経典や仏像といった「形式」ばかりに囚われ、自分自身の目で見たもの
だけを信じようとする心を戒めました。たぶん、臨済は本当の悟りを知っていたのでしょう。
だからこそ、目で見たもの、頭で考えたものにこだわっても真理が生まれないことを説いたの
です。

「自分の中にある固定観念」や「権威への依存」、あるいは「過去の成功体験」にこだわるこ
とに前進はありません。これを、現代の私たちのビジネスや経営に置き換えると、ハッとする
ものがあります。

■ ビジネスにおける「仏」とは何か?

私たちにとっての「殺すべき仏」とは何でしょうか。
それは、業界の「常識」であり、「前例」であり、時に「自社の過去の成功」です。

「この業界は昔からこうだ」
「前回うまくいったから、今回も同じ方法でいい」
「偉い先生(権威)が言っているから間違いない」

こうした思考停止の状態こそが、臨済の言う「仏(=悟りを阻む障害物)」です。変化の激し
い現代において、過去の常識や権威にすがっていては、新しい価値を生み出すことはできません。

■ 破壊なくして、創造なし

私たちは今、AIカメラという技術で「安心・安全」の形を変えようとしています。

従来の防犯が「起きたことを録画する(事後対応)」という常識(=仏)に囚われていたとし
たら、私たちが目指す「予知・予防する(未然防止)」という新しい世界は拓けません。

「仏に逢うては、仏を殺し」

この言葉は、私たちへの強烈なエールです。
「誰かが作った正解」を探すのではなく、目の前の現実を自分の目で見て、自分の頭で考え、
新しい答えを作っていく。固定観念という偶像を壊したその先にこそ、真に人々の心を豊かに
するイノベーションが待っています。

常識を疑い、形式を破る。
そんな野生味あふれる精神で、今後も突き進んでいきましょう。

2025.11.27

60歳で知る「畏る」の真髄! ~桐蔭還暦会で学んだ~

■「後生おそるべし」

先日、わが母校・桐蔭学園の学年還暦会に行ってきました。
赤いちゃんちゃんこは着ませんでしたが、集まった面々はみんな良い顔してました。
ただね、困ったことに、顔に覚えはあるんですが、名前がなかなか出てこない! (笑)
廊下ですれ違った、部活で見た、遠い記憶の片隅にはいるのに。
まぁ、それもまた、酒の肴になって面白かったんですが。

そんな旧交を温める場において、一段と味のあるご挨拶をいただいた方がいました。

■相良晴彦先生が教えてくれた「畏敬」の念

我々の古文の先生であり、ご列席いただいた相良晴彦先生からご挨拶を頂きましたが、これが
実に勉強になりました。先生は開口一番、笑いを取りながらこう仰った。

「こうせいおそるべし。ちゃんと漢字を書けるようにしろよ」

そして、あの鋭い眼光で、教えてくれました。

『こうせい、おそるべし』のおそるは、恐怖の『恐』ではないぞ。
相手をうやまう『畏る』だ。後から生まれてきたものには、我々は絶対に勝てない。
だから、後から生まれてきたものに畏敬の念をもって、対応すべきだ、ということだ


…これですよ!

■大谷翔平が示す「可能性」

我々には、若者がどのように成長していくのかなんて、本当に全くわからないですよね。
目の前の教え子が将来、自分などよりもはるかに成長し大谷翔平のようになる可能性を秘め
ていることも当然あるでしょう。その「無限の可能性」を引き出してあげることこそが、本
当の教育の姿なのかもしれません。

なんと、60歳にして、母校の先生から人生の真髄を教わった気分です。
学ぶというのは、本当に一生涯ですね。

■AIの時代にも通じる「後生畏るべし」

先生のこの言葉、今のAIの分野にも、そのまま当てはまるキーワードになると思いました。

「後から出てきたAI技術には、絶対に勝てない」

なぜなら、新しいモデル、新しいアルゴリズムは、過去のあらゆる知見とデータを深く学習
して生まれたくるからです。つまり、常に、

「蓄積したものが勝つ」

という構造になる。
人間も、AIも、後から生まれてくるものに畏敬の念を持って接する。
これが、これからの時代を生き抜くための「術」なのかもしれません。

2025.11.19

境界線を守る「AIという番人」

さて、連日のニュースで心を痛めていることがあります。
全国で相次ぐ「熊の被害」です。 本来であれば冬眠の準備に入るこの時期に、餌を求めて人
里に降りてこざるを得ない野生動物たち。そして、予期せぬ遭遇により傷つく地域の方々。

どちらにとっても不幸な状況が、かつてない規模で発生しています。

「駆除するしかないのか」
「山へ入るなと言うしかないのか」

議論は尽きませんが、私はAIの専門家として、一つの答えを持っています。

AIは『冷たい監視者』ではありません。
人と動物、それぞれが本来の場所で生きるための『境界線』を確認することができるのではな
いかと感じています

今、アースアイズが取り組んでいるのは、単に熊をカメラで映すことではありません。 AIと
いう「賢い目」が、熊を瞬時に識別し、彼らが人里という一線を超えようとしたその瞬間に、
光や音で「ここは入ってはいけない場所だ」と教えること。

熊を傷つけず、人も守る。
彼らに『ここは人の場所だ』と教えるには、賢い目(AI)と即座の反応が必要です。さらに、
熊の生活圏への侵入を「いつ、どこで、どのような大きさの熊であるか?」を住民にすぐさま
に伝えます。

私たちのAIカメラは、事件が起きてから証拠を残すためのものではなく、悲劇を
「未然に防ぐ」ために存在します。なんとか被害を起きる前に食い止めたいです。
「起きてから」ではなく「起きる前」に、テクノロジーができることはまだ沢山あります。

冬の訪れを前に、一つでも多くの命と生活を守れるよう、私たちアースアイズは技術という
「眼」を凝らし続けてまいります。

年末に向けて慌ただしい時期となりますが、皆様もどうぞご自愛ください。

2025.10.24

熊の発見 〜AIの目が守る暮らし〜

最近、「また熊が出た」というニュースを聞かない日はありません。
山だけでなく、民家のすぐそばまで出没するケースも増えており、人が襲われて亡くなるとい
う痛ましい事故も起きています。

これまで熊の目撃情報は、住民の通報や目視によるものでした。
しかし、限界があります。発見が遅くなれば、その分だけ危険も増します。

■ AIカメラで“熊の予兆”を捉える

当社では、防犯や火災検知のために活用してきたAIカメラ技術を、この“熊の出没検知”にも応
用できないかと考えています。山沿いや民家の周囲、通学路などにAIカメラを設置し、熊と思
われる動物の動きをリアルタイムで自動検知。

検知した際には、以下のようなアクションが即座に行われる仕組みです。

《AI熊検知システムの流れ(構想)》
・AIカメラが熊を自動認識(体格・動き・色など)
・クラウド・エッジ処理で“熊”と確定判定
・民家や地域のスピーカーへ自動音声で警告放送
・登録住民にLINE/メールなどで即時通知
・役所や消防への通報と履歴保存

このように「発見→警告→通知→記録」がすべて自動で行われることで、人命を守るための
“先手の安全”が実現できます。さらに、遠隔でも様子を確認できることで、高齢者世帯や子育
て家庭にも安心を届けられるはずです。

■ なぜAIなのか?

熊の出没は予測が難しく、昼夜問わず、しかも一瞬です。
人間の目や通報に頼るだけでは、どうしても“後手”に回ってしまいます。
AIであれば、夜間の赤外線カメラ映像でも熊を判別でき、人間では見逃してしまう動きも、高
精度で捉えることができます。
さらに学習を重ねることで、熊と犬の違い、タヌキとの区別などもより正確に判断可能になり
ます。

■ 地域の防災インフラとして

私たちはこの仕組みを、単なる“動物検知”ではなく、地域の防災インフラとして活用したいと
考えています。熊だけでなく、土砂崩れや火災などの予兆をAIで察知し、人と暮らしを守る目
として、AIが地域に溶け込んでいく未来を描いています。

「自然と共に生きる」ことが見直されるいま、技術と知恵で、共存の道を切り開いていきたい
ものです。

2025.09.25

ネットで叩かれる「老害」って何だろう?

こんにちは、皆さん。
ネット上でよく見かける言葉の一つに「老害」がありますよね。
年配の人を批判的に指すこの言葉、SNSや掲示板で頻繁に使われていますが、ちょっと気にな
りませんか?過去の実績がある人を、簡単に「老害」とラベル付けして排除し、自分が優位に
立ったかのように振る舞う人を見ると、私は正直、嫌悪感を覚えます。

でも、ただ嫌いだと言うだけでは前向きじゃないので、今日は「老害」とは何かを一緒に考え
てみましょう。

私の視点から、まとめてみました。

まず、「老害」の本質って何だと思いますか? 私は、自分の経験値だけに頼って物事を決め
つける人、相手の話を聞かずに自分の意見を押しつける人だと感じています。例えば、若い人
のアイデアに対して「それはうまくいかないよ」「昔はこうだったから、この通りにやりなさ
い」と、相手の可能性を踏みつぶすような態度を取る人です。経験は確かに貴重ですが、それ
がすべてを支配してしまうと、周囲を窮屈にさせてしまいますよね。

身近にそんな人、いませんか?
職場の上司や家族の年長者、時にはコミュニティのリーダー的な存在で、過去の成功体験に縛
られて新しい変化を拒否するタイプ。ネットで叩かれる「老害」は、こうした行動が目立つ人
を指していることが多いようです。一方で、年齢を重ねても新しい情報を貪欲に取り入れる人
は、全然違います。過去の栄光を自慢したり、自分中心の話に終始したりしないんです。むし
ろ、好奇心旺盛で、周囲をインスパイアしてくれる存在ですよね。

結局のところ、自分の成長を常に求めている人は、「老害」にはならないんじゃないでしょう
か。常に何かを考え、新しいものを生み出そうとする姿勢があれば、年齢なんて関係ないはず
です。経験を活かしつつ、柔軟にアップデートしていく。それが、老害にならないコツかもし
れません。

皆さんはどう思いますか?
今日のサブロー通信はここまで。次回もお楽しみに!

2025.08.15

広陵高校ヘの正義

ネットで「正義」を語る声は、毎日どこかで聞こえてきます。
社会をより良くしようとする意見は大切ですが、その声に違和感を覚えるのは私
だけでしょうか。

自分で60歳の自分になることは、想像していませんでした。「まぁ、よく生きて

昔、帰りの電車での出来事です。
満員電車に、5、6人の大柄な外国人の若者が乗ってきました。かなり酔っていて、
大声で騒ぎながら、まるでピンボールのように人にぶつかっては跳ね返る遊びをし
ていました。

周りの人たちは、迷惑そうにしながらも、怖さからか誰も目を合わせようとしませ
ん。私は英語でどう注意すればいいか?などととメンドクサイことを考えながら彼
らを注視していました。そのうちの一人が女性のカバンに手を入れ、財布を盗もう
としているのを見つけました。

私はとっさにその犯人の手を掴もうとしましたが、手が滑ってしまい、捕まえきれ
ませんでした。払われた拍子に、再度を捕まえようとして思わずその相手の後頭部
を殴ってしまったのです。

犯人は大柄外国人の陰に隠れ、私は周りを大柄な男たちに囲まれましたが、なぜか
冷静な私は、彼らが手を出してこないのがわかりました。ただ、私を助けようと声
をかける人もいませんでした。


別の日の朝の出来事です。各駅停車の満員電車で急行待ちのため、しばらく停車し
ていました。私は電車の中に押し込まれて窓の外を見ると、ホームで女性が突然、
危険な倒れ方をしました。

驚いたことに、誰も電車から降りて助けようとしないのです。私は電車の中から人
をかき分け、ホームに降りて彼女に声をかけ、駅員さんを呼びました。
その時、電車の中から無言で私や倒れた女性を眺めている人たちになんとも言えな
い違和感を覚えました。

以前、痴漢にあった女性が「誰も助けてくれなかった」と話していたことも思い出
しました。


ジャニーズ事務所やフジテレビの問題も、関係者は多くの人が知っていたはずです。
それにも関わらず、目の前で助けを求めている人に目を向けず、見て見ぬふりをして
きた人たちが、今になって顔も名前をもわからない人のネットの意見を「そうだそう
だ」と騒ぎ立てる。そこには、嫌みや妬み、今まで言えずに、ため込んだものを転嫁
しているにすぎません。

広陵高校の野球部のように、寮生活で「それが普通」とされてきた中で、「それは間
違っている」と声をあげるのは、本当に難しいことです。弱い自分は、その場の空気
や雰囲気に流されて、一歩間違えば加害者になってしまうかもしれない。それは誰に
でもある可能性です。

本当に大切なのは、ネットで正義を叫ぶことではなく、ごく普通に目の前で困ってい
る人に手を差し伸べる勇気を持つこと。その勇気を持つために、私たちは日頃から自
分自身の心と向き合う必要があると思います。

2025.07.15

サブロー! 誰にでも一芸があると信じる あなただけの一芸、見つけよう!

「誰にでも一芸がある」って聞いたことありますか?
自分で60歳の自分になることは、想像していませんでした。「まぁ、よく生きて

なんだか素敵ですよね。

まるで、この世に生まれてきた意味がそれぞれにあるように、その人だけの特別
な才能や得意なことがある、って良い気がします。

早くからその「一芸」に気づいて、グングン成功していく人もいれば、自分の能
力が何なのかわからずに、もがき続けている人もいます。

自分の力だけで見つけ出す人もいれば、周りの反応を見ながら「もしかしてこれ
が私の得意なこと?」って試行錯誤を重ねる人もいるでしょう。

でも、どんな方法であっても、大切なのは諦めないこと!

くじけずに、たくましく、そして果敢に挑戦し続ければ、きっとあなただけの一
芸が見つかるはずです。

一緒に自分だけの輝きを探せればうれしいです。

2025.06.24

サブロー、還暦を迎える! 人生三分割にしてみた

私は1965年生まれで、本日6月24日に60歳、還暦を迎えました!

自分で60歳の自分になることは、想像していませんでした。「まぁ、よく生きて
きたなぁ」としみじみ思います。身体的能力も頭の出来も人並み程度で、特筆す
べきものは何もありません。
勉強も人並みで、早稲田大学卒業と謳っていますが、二浪の末にようやく早稲田
の最後の砦とも言われる第二文学部に合格したので、相当「人並み」です。

大学まで野球を続け、試合にも出場しました。高校時代、神奈川県の秋季大会で
優勝し、関東大会に出場しましたが、私はチームの背番号15番で、試合には何度
か出場しましたが、甲子園メンバーには選ばれませんでした。今でも人生で1度き
りの甲子園のチャンスを逃したことを覚えています。
大学でも試合に出ましたが、守備要員としての出場に留まり、どこまでも「中途
半端な選手」でした。恩師 石井連蔵監督がなぜか私を気に入ってくれていて、
3年生からベンチ入り、出場機会を何度も頂きましたが、レギュラーなどは程遠い
選手でした。

仕事においても、特別にトップセールスを記録したこともなく、ごく普通の仕事
しかできていません。

そんな普通の人間である私ですが、起業し、多くの重たいものを背負うことにな
りました。私のような平凡な人間が背負うにはあまりにも重い経験をしてきまし
た。「果たして、これほどまでの経験が私に必要だったのか」と何度も思いまし
た。何度も何度も人も社会も神までも恨むことがありました。


<人生を三分割 24年刻みで振り返ると>

【0歳~24歳:野球と学生の時代 劣等感の塊】

24歳までは、劣等感の塊でした。
私は二浪していたので、大学卒業時は24歳でした。
才能の差を痛感し、「なぜ、これだけ努力しても野球がうまくならないのだろう」
と死ぬほど悩みました。

【24歳~48歳:社会人としてもがく時代】

社会人となり、結婚し、子供ができ、そして28歳で起業。この期間は、事業に必死
で、自分自身を掴みきれずにもがいていた時期でした。人は50歳にして天命を知る
とされますが、そのための修行の期間だった気がします

【48歳~72歳(前半):48歳から60歳へ–信じることの意味を知る時間】 

アースアイズ設立--
48歳を超え、人生の前半戦が終わろうとしていました。
49歳の2014年、路頭に迷いながらも必死にもがき、2015年アースアイズを立ち上げ
ました。それから10年が経ちましたが、振り返ると「思っていることを実行できて
いない」自分がいます。その原因は、結局のところ、思いの軽さにあると気づきま
した。劣等感の塊の私は、自分を最終的に信じ切れていないのです。

「信じること」と「信じ切ること」は違います。
これからの10年、劣等感の塊だった自分から脱却し、人も自分も信じ切ることを目
標に、普通の自分から成長していきたいと思います。


【還暦って、結局なんなのさ?赤い「ちゃんちゃんこ」の謎】

還暦とは、数え年で61歳、満年齢で60歳を迎えること。
「還」という字は「還る(かえる)」という意味を持っています。
何が還るのかというと、ずばり干支(えと)が還るんです。

私たちの生活にもなじみ深い「子(ね)」「丑(うし)」「寅(とら)」といった十
二支と、「甲(きのえ)」「乙(きのと)」などの十干(じっかん)を組み合わせた
「干支(かんし)」は、全部で60種類あります。生まれた年の干支が、ちょうど60年
経つと一巡して、再び自分の生まれた干支に戻ってくる。これが「還暦」の由来なん
です。

還暦のお祝いといえば、パッと頭に浮かぶのが赤いちゃんちゃんこ。
なぜ赤なのかというと、赤色には魔除けや厄除けの力があると信じられてきたからで
す。また、干支が一巡し、生まれ変わったという意味合いで「赤ちゃんに還る」とい
う意味も込められています。「赤子」という言葉は、赤ちゃんは、お母さんの血を浴
びながら出てくるので、赤く染まっており、それで、「赤子」といわれると偉い坊さ
んに聞いたことがあります。

私の勝手な意見ですが、還暦という言葉は、「魂の循環」を意味していて、魂は、循
環するけれども、形ある肉体は滅びます。形あるものは、滅びることで、その魂を守
って次の肉体を提供する機会をつくっているのかもしれません。

「赤いちゃんちゃんこ」を着て、赤ちゃんの格好をするのは、魂の循環の準備をしろ、
肉体が切り替わり生まれ変わる。
「人間として生まれ変わる準備をしろ」ということかもしれません。


【48歳~72歳(後半):人生の仕上げへ:新たな12年の幕開け】

そして、いよいよこの60歳を迎え、新たな12年間、60歳から72歳までの「人生3分割
の後半戦」が幕を開けます。

今年(私の)干支は「乙巳(きのとみ)」です!「乙(きのと)」は、陰の木を表し、
草花やツル植物のように、しなやかで粘り強く、柔軟性を持って成長していく様子を意
味します。目立たないかもしれませんが、着実に根を張り、コツコツと伸びていく力強
さがあるのが特徴です。

十二支の「巳(み)」は、「蛇(へび)」のこと。蛇は脱皮を繰り返して成長すること
から、「再生」や「無限」といった意味合いを持っています。また、古くから弁財天の
使いともされ、金運や財運の象徴とされることもあります。

これらの意味を合わせると、「乙巳(きのとみ)」の年は、地道な努力が着実に実を結
ぶ年、柔軟な発想や対応が新たな可能性を切り開く年、そして再生や変革のチャンスに
恵まれる年(らしい・そうあってほしい)と言えます。

劣等感まみれで、どこまでも「中途半端」だったサブローが、人生の終盤戦で「信じき
る」ことで、楽しいドラマを巻き起こしたいものです。自分でもワクワクしています。
これからの12年間は、私の「集大成、そして新たな冒険の章」となるでしょう。

たとえ白髪が増え、皺が深く刻まれても、心だけはいつまでもかわりません!
失敗を恐れず、好奇心いっぱいに、この「人生3分割目の後半戦」を謳歌していきたい
と思います。

これまでの人生で培ってきた、この「中途半端さ」だからこそ見えてくる景色、経験し
てきた「重い道のり」。これらは、まさに私サブローにしか語れない、私にしかできな
いことだと確信しています。失敗も挫折も、全てが今の私を形作る唯一無二の財産です。
この「乙巳」の年、そして続く人生三分割目の24年間で、私は自分にしかできないこと
に改めてチャレンジし、その喜びを一つ一つ確認していきたいと心に誓います。それは、
きっと誰かの役に立つことであったり、新しい価値を生み出すことであったりするかも
しれません。

焦らず、粘り強く、しなやかに、自分らしい道を歩んでいきたいと思います。

2025.06.18

サブロー風進化論:ダーウィンを超えて? 魂のバトン”が繋ぐ、生命のミステリー

こんにちは、サブローです。
今日は皆さんと一緒に、生命の進化という壮大な謎について、少し思索を深めて
みたいと思います。

かのチャールズ・ダーウィンは、「最も知的な種が生き残るのではない。最も強
い種が生き残るのでもない。唯一生き残るのは、変化に対応できる種である」と
いう言葉を残しました。この言葉、とても深くて、なるほどなぁと思わされます
よね。

ただ、私がずっと心に引っかかっているのは、この「変化に対応する」という部
分なんです。一つの生命が、その一生の中で環境の変化に合わせて能力を変える…
というのは、まだ理解できる気がします。
でも、それが世代を超えて、まるで何か大きな目的を共有しているかのように、
特定の方向へ向かって自分の体形や姿を変化を続けていくというのは、一体どう
いうことなのでしょうか。

例えば、昆虫や生物の擬態です。
昆虫がまるで葉っぱそのものに見えるようになったり、魚が周りの岩や砂の色に
完璧に溶け込んだり、カメレオンが背景の色と同化したり、ましてや、あの小さ
なフグが強力な毒を持つようになり、「食ったら死ぬぞ・・・・」ってすごいで
すよね。さらには、毒蛇のように獲物を捕らえるために毒を持つとかデンキウナ
ギのように電気を発生させるとか?それは、「祈ったって出来そうもない」こと
をできる動植物がいます。

これらが、単なる「偶然の積み重ね」を世代を超えて変化を求めるだけで、でき
るようになるのでしょうか?私には、どうしてもそうは思えないのです。なんだ
か、そこには「偶然」だけでは片付けられない、何か大きな意志のようなものが
働いているように感じてしまうのですよね。

進化の過程には、きっと数えきれないほどの失敗があった筈です。でも、生き残
ることができなければ、その失敗から学ぶことはできません。しかしながら、上
記のような擬態をするのであれば、「致命傷」に近いくらいの経験をして、何と
か生き残る工夫を必死にしなければ、自らの身体を擬態化するなどはできないよ
うに思えるのです。死んでしまえば、その種のDNA等は到底引き継げません。

それなのに、どうしてあんなにも複雑で精巧な擬態や防御機能が、まるで誰かが
デザインしたかのように生まれてくることができたのでしょうか。

ある方が、こんな魅力的な仮説を話してくれました。

「もし、“魂”というものが存在して、その魂が過去の経験や切実な願いを記憶し、
次の新しい命へとその記憶を引き継いでいるとしたら…?
肉体が滅んでも、体が死んでも引き継げる魂レベルで蓄積された経験こそが、次の
世代の進化の“青写真”になっているのかもしれないよ」と。

これは、かつてラマルクが提唱した「獲得形質の遺伝」という考え方に、「魂の転
生」という、どこか懐かしくも新しい視点を加えたような、非常にユニークで心惹
かれるお話だと思いませんか?もし仮に、生まれ変わり、死に変わりしても魂は引
き継がれ、同じ生物に何度も、生まれ変わり、何度も、同じ死に方をしていれば、
「もう、同じ死に方したくない・・・」と思えれば、擬態などが生まれる気がしま
す。

遺伝子に“想い”は宿るのでしょうか?

現代科学の視点から見れば、遺伝子はあくまで化学物質の集まりであり、脳もまた、
電気信号や化学反応によって機能する生物的な器官です。
そこに「意思」や「魂」といった非物質的なものが介在すると考えるのは、少し飛
躍があるのかもしれません。

でも、私たちが生命の営みの中に感じる、あの言葉では言い表せない「何か」

–それは、今の科学的な分析だけでは捉えきれない、ミステリアスで、温かく、そ
して豊かな感覚だとは思いませんか?真実は、もしかしたら一つではないのかもし
れません。あるいは、まだ私たちの目には見えていない、もっと大きな全体像の一
部を、私たちはそれぞれ違う角度から見ているだけなのかもしれません。

大切なのは、こうして「なぜだろう?」「どうしてだろう?」と問いを持ち続ける
こと。そして、生命の持つ計り知れない不思議さ、その奥深さに、心を動かし続け
ることなのではないかな、と私は思うのです。

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