心は、なぜあるか
今日は、ちょっと哲学的で難しいテーマに取り組んでおります(笑)
人は緊張や恐怖、悲しみなどを感じると手で胸を押さえます。
世界中で「心が痛い」と感じた時に使われる身体の表現でもあります。
「心が痛い」と言って、頭を押さえる人はいません。
「大変だ!」と言って頭を抱えるということはあるかもしれませんが、
それは、大体頭がいっぱいの状態で、パニックしているということの表現になります。
「心」はどこにあるのか。
心にしみる言葉を聞いたときや美しい情景を目にしたとき、
感情を揺さぶられるとまるで心臓の位置に心があるかのように思いますが、
「心」という身体の部位はなく、目に見えないものなので、表現が難しいです。
生物において、機能が複雑化した動物のほうが、感情を表現することが多いように感じます。
アフリカの野生の動物の映像などをスマホやタブレットでいつでも身近に観られるように
なりましたが、生きるか死ぬかの弱肉強食の世界においても動物の親や子、
群れ単位においても、そこには感情があることが見て取れることがあります。
脳が心を作ったわけではないかもしれません。
心という概念は、人間の知識・感情・意志などの精神的な働きのもとになっているものであり、
また、その働きを指す言葉です。
脳は、人間の感覚、知覚、認知、思考、感情などを制御する重要な器官であり、
これらのプロセスに関与しています。心のような高次の機能は、脳の複雑な神経回路の
相互作用によって可能になると言われています。
進化的に見れば、人間が心を持つようになったのは、社会的、文化的、
環境的な圧力によって形成されたものと考えられているそうです。
人間は社会的な生物であり、他者との関係や自己との関係を持つことが
重要であるため、心という概念が発展してきたと言えます。
アメリカの心理学者、アブラハム・マズローは、人間の欲求を5段階に
分類した理論を提唱しました。それが、マズローの欲求5段階理論です。
生理的欲求(生存欲求):
空腹や渇き、睡眠欲など、生物として生きる上で必要な欲求が含まれます。
安全欲求:
身体的な安全や保障、安心感を求める欲求が含まれます。
例えば、住居や仕事の安定、経済的安定などが挙げられます。
社会的欲求:
愛情や所属、友情、交流、社会的地位など、社会的なつながりを求める欲求が含まれます。
尊重欲求:
自尊心や自己評価、承認欲求など、自分自身を尊重されることを求める欲求が含まれます。
自己実現欲求:
自分自身が持つ可能性を最大限に引き出すことを求める欲求が含まれます。
この欲求に到達すると、個人は自分自身の能力を十分に発揮して、創造的な
活動を行うことができます。
マズローは、これらの欲求は、階層的に関係していると考えました。
最初に生理的欲求や安全欲求が満たされていることが前提となっています。
これらは、身体的な欲求としてまとめることができます。
身体的な欲求が満たされるとより高次の欲求が生まれてくると考えられます。
また、より高次の欲求が満たされることで、人間はより高いレベルの成長を
遂げることができると考えました。
マズローは、低次の欲求は、身体的・本能的な欲求であり高次の欲求に
いくと、心の欲求が生まれ、目的達成意欲が上がることを階層別に表現しました。
つまり、生きることの目標は身体的な欲求を満たすことではなく、
心の欲求を満たすことになります。
脳の機能は、自分の身体を制御するために使われますが、心は、自分の内に
ある真の個性を発揮して、自己実現していくために生まれたのかもしれません。