幸せを運ぶ電車
かなり前の話です。コロナなどが話題になるよりも更に一昔前の話です。
それは、朝のラッシュ時の駅のことでした。
朝の5分は貴重です。誰もが我先にと電車に乗り込もうと押し入ります。
私はその時、夜中移動して夜通し仕事をしていたためになんと、
朝のラッシュの時間になってしまいました。
私は、どうしても会社に戻らなければならなかったのですが、
各駅停車の電車しか止まらない駅で、とにかくその電車に乗らないと
会社に間に合わない状態でした。
電車が到着すると、既にほとんどの車両が満員・すし詰め状態でした。
自動ドアが開くと少しでも入り込める車両を探して、
人の間に身体をねじ込むというような感じです。
その時間、各駅停車の駅に降りる人はいませんでした。
私は、ラグビーのスクラムのように人を押し込むと私の後ろの人も一緒に
スクラムを組み、私は流れで中の方まで押し込まれました。
その押し込まれているときに、窓の外でパタッっと人が倒れるのを横目で確認しました。
押し込まれる中で背伸びをするように人を見ると、貧血なのか?女性が倒れていました。
人とぶつかって倒れたのではないようで体調が悪いのか、
突然、意識を失ってしまったような状態でした。
かなり危険な倒れ方だったと思います。
電車は、時間調整の為か?発車まで少し時間がありました。
それは、ちょっと異常な光景でした。駅には誰もおらず、そこに倒れた人だけがいます。
1m先の電車にはギュウギュウに詰められた人がいるのですが、
倒れている人を見ているだけで、何もしようとしません。
誰も声をあげません。
目の前で、人が倒れているのに、誰も電車から降りて介抱しようとしなかったのです。
何ができるわけではありませんが、私は、人を掻き分けて電車から降りて声をかけてみました。
意識は戻り、大丈夫そうでした。駅員さんもすぐに来てくれました。
人は、集団で行動をしていると判断を誤ることが多くあるようです。
それは、勇気とか、やさしさとかという言葉ではなく、
気が付かなくなってしまうことがあるということです。
電車に乗ることに必死過ぎて、自分のことにだけ必死過ぎて、
目の前で起きたことに気が付かず、もしくは、気が付こうとせず、
判断できなくなってしまうことがあるのではないでしょうか?
私は、少し天邪鬼のところがあって、集団での行動に疑問を持つことが多く、
たまたまそのような行動をすることができました。
何か朝のラッシュ時に電車に乗ることと、集団による特性が重なるような感覚を覚えました。
同じ電車に乗り、自分で判断をしないで、同じ方向に運んでもらう・・・
たまには、自分の習慣を壊してみるの良いのかもしれません。