温故知新~多様性という言葉に飛びつく愚かさ~
「時代に合った生き方は大切だ。しかし、その時代の考えを否定することには意味がない」
これは、私が日々の中で改めて感じることです。
今は「多様性の時代」と言われ、さまざまな価値観が尊重される風潮があります。しかし、
時代が変わるたびに過去を否定し、新しいものばかりを良しとするのは本当に正しいので
しょうか?
<昔の「詰め込み式学習」が示したこと>
私が中学生だった頃、「詰め込み式学習」が批判されていました。
当時のテレビ解説者たちは「日本にノーベル賞受賞者が少ないのは詰め込み式の学習のせ
いで独創性が失われているからだ」と声高に主張していたのを覚えています。
しかし、それだけが原因だったのでしょうか?
詰め込み式学習は確かに欠点もありましたが、それが膨大な基礎知識を身につける機会を
提供していたことも事実です。この基礎知識があったからこそ、多くの技術者や研究者が
活躍できたのです。「独創性を削ぐ」と批判された詰め込み学習がなければ、現在の日本
の学術的な土台はどのようになっていたのか、想像もできません。
その後、「ゆとり教育」という新しい学習方針が登場しました。しかし、それが本当に日
本の教育に良い影響を与えたのか、きちんとした検証はされないままです。こうした教育
政策の変遷を見ると、誰も責任を取らずに変化だけを進めているように感じます。これは
教育だけでなく、多くの分野に共通している問題です。
<労働時間の短縮と収入の課題>
近年、日本の収入が伸び悩んでいると言われています。
その背景には、労働時間と収入が密接に結びついていた日本の働き方が変化したことがあ
ります。かつては長時間労働が当たり前であり、それが収入の大部分を支えていました。
しかし、コロナ禍の影響と働き方改革が進む中で労働時間が短縮され、結果として収入が
減少しています。
例えば、2020年のデータによると、残業時間の大幅な減少により、所定外給与が前年比で
24.6%も減少しました。この影響は特に生活関連サービス業や製造業などで顕著でした。
ただ、これを単純に「収入が減った」とだけ捉えるのではなく、日本の労働環境がどのよ
うに進化してきたかを理解する必要があります。
また、日本の給与水準が国際的な指標と比較されて低いと指摘されていますが、物価が比
較的安定していることや国内の生活環境が整っていることを忘れてはいけません。一方で、
働き方改革が単に「時間を削る」ことだけに終わってしまい、生産性や効率化が十分に進
まなかった点は反省すべき部分です。人で不足の業界がある中で、働き改革を進めなけれ
ばならない矛盾をだれも説明しません。
特に公共部門が率先してDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するべきでした
が、そこが欠けているのが現状です。
<長時間労働の価値と課題>
一方で、イーロン・マスクのように週80時間以上働く超ハードワーカーが注目されること
もあります。彼のような働き方からは、「仕事への情熱」や「成果を出すための努力」の
重要性を学ぶことができます。しかし、長時間労働がすべての人に適しているわけではあ
りません。
私たちが目指すべきなのは、「効率的に働くこと」と「個々の価値を最大化すること」で
す。時間の長さではなく、その中でどれだけの価値を生み出せるかが重要です。
<過去を否定せず、未来へ活かす>
時代に合った生き方を追求することは確かに重要です。しかし、過去を否定してしまうこ
とは、新しい価値を生み出す力を弱めることにもなりかねません。過去の考え方には、そ
の時代なりの意味と価値があり、それを理解して未来へ活かすことが本当の多様性ではな
いでしょうか。
私たちは、時代の変化を受け入れながらも、その背景にある歴史や価値観を尊重し、新し
い時代を築いていく必要があります。そのためには、過去を「否定」するのではなく、
「活かす」ことが求められるのです。