人は顔つきを創る経験をする
人間は生まれ持った顔つきと、自分で築いてきた年輪のような顔つきとを持つらしい。それ
らは全く異なるものであると最近やっと感じるようになりました。確か五木寛之さんの『青
春の門』でこのことについて読んだことがあります。当時は中学生くらいで、「フ~ン」と
軽く受け流してしまいましたが、心のどこかにその言葉が刻まれたのでしょう。
そのことを思い出したのは、先日の東京六大学野球の早稲田対明治の試合中継で、小宮山監
督のアップが映し出されたときでした。口元がへの字に少し曲がり、選手を見るその顔全体
の雰囲気がまさに「顔つき」として表現されてよいもので、我々の恩師であり監督だった石
井連蔵さんに似ていると感じました。
私の会社の執務室には、石井連蔵氏の写真が飾ってあります。監督の経験を感じさせる「顔
つき」の写真を毎日見ていると、自然とその顔つきが創られた意味を考えさせられます。
監督にはよく怒られました。怒られた理由は「真剣さ」が足りないというものがほとんどで
した。監督は「真剣さ」を異常なほど追求する人で、その厳しさは並大抵のものではありま
せんでした。これでもか・・・と真剣さを要求される練習は、当時の私たち学生にとっては、
ついていくことにただただ必死だったように思います。
何かに取り組んでいる人は、その取り組みが顔つきに表れます。私も年齢を重ねる中で、そ
のことを実感するようになりました。努力や情熱、苦労といったものが顔つきに反映される
のでしょう。
今後も良い取り組みを続け、真剣に生きていくことで、自分の顔つきに自信と誇りを持てる
ようになりたいと思います。顔つきは人生の歩みを映し出すものであり、それを創るのは自
分自身の経験と努力に他なりません。