深く考える耳順の年齢
私は、この6月で59歳になります。50歳の時、「天命を知る」という言葉に触れ、その意味を
自分なりに理解しようとしてきましたが、未だにその真意に完全に納得しているわけではあ
りません。しかし、納得のいく言葉です。
「耳順(じじゅん)」という言葉をご存知でしょうか?論語の「六十にして耳順う」という一
節に由来します。これは、人が60歳になると他人の言葉を素直に受け入れることができるよう
になるという意味です。昔は「数え歳」で年齢を数えていたため、現在の59歳が当時の60歳に
相当すると考えることができます。
他人の言葉を素直に受け入れるには60歳が必要だということは、人間の成長には時間がかかる
という示唆でもあります。孔子のような歴史的な大人物がそのように説いたことを考えると、
私のような凡人はまだまだその境地には達していないかもしれません。この「耳順」という概
念には、さらに深い意味があると感じるので、もう少し掘り下げてみたいと思います。
他人の意見を受け入れることは、単に言葉の内容を理解するだけではなく、その人の態度や長
年の関係性、そして言葉に込められた背景まで含めて考慮する必要があります。好きな人、嫌
いな人、苦手な人、若い人、年寄り・・・・言葉の意味や内容が同じでも、説明の仕方や話す
順序によって受け取り方が異なり、結果として受け入れにくい場合もあります。
耳順とは、これらすべてをひっくるめて、他人の言葉に「耳に順う」ことができる姿勢を表し
ていると思います。このように考えると、耳順とはまさに聖人の境地であり、他人の言葉を完
全に受け入れるには修養が必要です。
ある時、「アングリーコントロール(怒りのコントロール)をどのようにしていますか?」と
質問されたことがあります。私は、「怒りも神がくれた重要な感情の一つとして考えれば、コ
ントロールする必要はないのではないか? 大事なのは、その感情の裏にある真実を理解する
ことだ」と答えました。しかし、耳順の年齢に近づく今、もう一歩深く考える必要があるかも
しれません。
耳順を迎える私たちにとって、他人の言葉や感情を理解し、受け入れる能力は非常に重要です。
これからの一年、私もさらに修養を積み、真の耳順を目指していきたいと思います。