早慶戦の魔法と哀愁 – 幸せな巡り合わせ
初めて神宮球場に足を運んで、早慶戦を観戦したのは、浪人生活が始まり、勉強も追
い迫ってきた秋のことでした。同じく浪人生活を送っていた友人の帝京高校野球部の
投手が、何度も「早慶戦を観に行かないか?」と私を誘いました。しかし、私は「勉
強しなきゃ~」という気持ちから、断り続けていました。帝京の投手は、私の高校の
先輩が早稲田や慶應大学でプレーしていることもあり、誘っているようですが、私は
逆に情けない浪人生活をしている自分が行くべき場所ではないと感じていました。
早慶戦は3試合にわたり、私が球場へ足を運んだのはその最終戦、月曜日の夕方でした。
その日は帝京の投手が、私の予備校の講義が終わるのを廊下で待っていて「行こうよ」
と誘ってきました。私に気を遣いながらうつむき加減に誘う彼に、心動かされて、つ
いに誘いに応じてしまいました。
私たちは、早稲田側の1塁スタンドに入りました。記憶が正しければ、それは11月1日
ごろのことで、寒さが身にしみて、ジャケットを羽織っていたことを覚えています。
私たちが球場に到着した時、試合前のノックが行われていました。早稲田の選手の軽快
な守備を見るだけで心が楽しくなりました。しかし、一塁へのシートノックの時、当時
2年生で後に巨人でも4番を打つ石井さんがエラーしてしまいました。すると、二塁手の
先輩選手から「アッ~」と大きな声が上がり、ちょっと陰険な雰囲気が漂いました。石
井さんは焦りながら、「もう一本お願いします」と大声で言い、その後は軽快にボール
を処理しました。私は、その陰険な感じを高校の時に経験してきているので、そのやり
取りを少しにやけながら見て、親近感がわきました。
試合の結果は記憶では慶應大学が勝ったような気がします。
雨は降っていませんでしたが、分厚い雲に閉ざされていて、球場のスタンドはとても寒く、
薄暗い雰囲気が漂っていました。応援の熱気や選手たちのプレーとは裏腹に、どこか哀愁
を感じました。その日、私は早慶戦というものが具体的にどういうものなのかを理解して
いませんでしたが、4年生にとってそれは、学生生活の最後の試合であることを肌で感じた
瞬間だったのかもしれません。たかだか、学生の4年間ですが、大学まで野球をしたものに
おいては、大袈裟な話ですが、人生の全てだったと思います。
今秋も10月末に行われる早慶戦は、早慶がそれぞれ勝ち続けているため、最後の早慶戦で、
勝ち点をとったほうが優勝するという優勝争奪戦となります。このようなシナリオは、なか
なかあるものではありません。競合をかき分けて、早慶だけが優勝戦に残るのは、5~10年
に1度程度しかない出来事と思います。例えると、巨人と阪神の両チームが、最後の一試合
を残して、勝率が同率な感じをイメージしてください。(笑)
母校・早稲田の小宮山監督は就任の5年間、今回三度目の早慶戦決着に臨みます。一度目は、
早稲田。二度目は慶應です。三回目、どうなることでしょう。
今年は甲子園も慶應が優勝しており、盛り上がることと思います。