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2026.03.11

AIで蘇る、日本の「火の見櫓」

本日3月11日。東日本大震災から15年がたちました。
改めて「防災を日常の中で考える」という言葉を思い出します。

内閣府でも、SNSで 「#防災を日常に」 というハッシュタグを通じて、防災を身近なものとし
て発信する取組が呼びかけられています。私自身、防災とは「特別な日だけ思い出すもの」で
はなく、日常の延長線上にあるものだと思っています。

そこで今回は、日本の町や村の風景の中に、かつて当たり前のように立っていた「火の見櫓
(ひのみやぐら)」、そしてその思想を受け継ぎAIによって蘇りつつある「火の見櫓AI」につ
いて書いてみたいと思います。

<火の見櫓の始まり>


火の見櫓は、文字通り 火災を見張るための高い塔です。
その歴史の背景には、日本が長い間向き合ってきた「火事」という災害があります。

きっかけの一つとされるのが、1657年に江戸で発生した 「明暦の大火」です。
江戸の大半を焼き尽くしたこの大火災をきっかけに、幕府は火災の早期発見の重要性を強く認
識しました。

こうして整備されたのが火の見櫓です。
当初は幕府直属の消防組織 定火消(じょうびけし) の屋敷内に設置されましたが、やがて町
人による 町火消(まちびけし)が組織されると、町ごとに火の見櫓が建てられるようになり
ました。火の見櫓は、やがて単なる設備ではなく、地域を守る象徴として日本の町や村に広が
っていきました。

<日本の村に立っていた「見守りの塔」>


明治から昭和30年代にかけて、火の見櫓は全国の農山漁村にも普及しました。

櫓の上から周囲を見渡し、火事を見つけたら 半鐘(はんしょう)を鳴らして知らせる。
その叩き方によって、火事の場所や緊急度まで伝えていたそうです。

遠くからでも見えるその姿は、いわば 「集落の天守閣」 のような存在でした。
地域の人々にとって、火の見櫓は安心の象徴でもあったのだと思います。

<消えつつある火の見櫓>


しかし現在、火の見櫓は急速に姿を消しています。
119番通報の普及や都市の高層化により、人が櫓に登って見張るという役割は次第に必要なく
なりました。

さらに、鉄製の櫓は老朽化が進み、維持費や耐震性の問題から撤去されるケースも増えていま
す。現在残っている櫓の多くは、消防ホースを干すためのホース乾燥塔や防災スピーカーの支
柱として使われている程度です。

かつて日本の風景だった火の見櫓は、静かに姿を消しつつあります。

<AIによって蘇る「火の見櫓」>


しかし、「高い場所から地域を見守る」という火の見櫓の考え方そのものは、決して古くなっ
たわけではありません。

むしろ、技術の進化によって新しい形で復活しつつあります。
私たちアースアイズでは、この考え方をAIで実現する「火の見櫓AI®」というシステムを開発
しました。高所に設置したカメラの映像をAIが24時間365日解析し、煙や炎などの異常を自動
で検知する広域監視型の防災システムです。

<人の目からAIの目へ>


昔の火の見櫓は、消防団員が櫓に登り、人の目で火災を探していました。
そして火を見つけると、半鐘を鳴らして地域に知らせました。

「火の見櫓AI®」は、AIがカメラ映像を解析し、煙や火柱を自動検知します。

異常を検知すると、管理者のスマートフォンや通信指令室へ即時通知されます。
監視範囲も広く、一台のシステムで半径約800m〜1kmを360度見守ることができます。

人が担っていた役割を、AIが休みなく見守り続ける仕組みとして実装したものです。

<サブローの独り言>


江戸の町では、「火事だー!」と半鐘が鳴り、町火消が駆けつけました。
そして今、AIが静かに街を見守っています。

方法は変わりましたが、「地域を見守り、異変をいち早く知らせる」という防災の知恵は、
昔から日本の暮らしの中にありました。

今日は、防災を「特別なこと」ではなく、日々の暮らしの中にあるものとして改めて思い出す
日なのかもしれません。

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