サブロー通信

サブロー通信は、アースアイズ代表 山内三郎が配信するメルマガです。
本ページでは、2019年4月〜現在までのサブロー通信をご覧いただけます。

2022.12.13

もしも時代の寵児たちがテレビ局を買収しておいたならば

イーロンマスクが、Twitterを4兆円もの費用で買収をするのは、
オッたまげた話でありますが、これは、Twitterを世界最大の
「マスメディア」として捉えているからであると感じます。

1996年6月、“世界のメデイア王”こと、ルパード・マードック氏と共にテレ朝株
21.4%の株を取得して、買収を試みました。

楽天株式会社は2005年10月に株式会社東京放送(TBS)の15%超の株式を公開買付し、
買収を試みました。

そして、ライブドアは東京証券取引所の時間外取引で発行済み株式の29.5%を追加取得、
取得済みの株式を加えてフジテレビグループの35%を占める事実上の筆頭株主となりました。

共に時代の寵児と言われる人たちが、テレビ局を買収しようとして、インターネットとの融合
(言葉が古いが、もっと多様な可能性を考えていたと思います。陳腐な表現でごめんなさい)
に取り組もうとしていました。
逆に言えば、テレビ局の衰退を彼らは知っていたのかもしれません。

買収劇が、どのような反対勢力の中で、断念したのかは分かりませんが、それ相応の額で、
テレビ局を買収したいと思う人は、もう現れないでしょう。仮に、テレビ局をこの3社が
買収していたならば、日本の経済はとんでもない発展をしていたように思います。

当時のテレビ業界は、就職したいランキングのトップであり、年収も将来性も人気も
ありました。この世の春を謳歌しているテレビ局が、新参者のインターネット業界の
ベンチャーが買収に来るなど、無礼千万、100万年早いと思うのは無理もない話
だったのでしょう。

テレビもインターネットも広告が収益源です。この融合を成功させていれば、より効果的な
新たなマスメディア媒体ができたことと思いますが、本当に残念な話です。

ただ、この構図が、先見性がなく、自分たちが権力に留まり、日本の発展に阻害してきた
「変化を求めない日本経済の弊害」の代表的なことだったのではないか、
とイーロンマスクのTwitter買収で思い出されました。

2022.11.22

環境は人を創らない

ニューヨーク市は1980年代からアメリカ有数の犯罪多発都市となっていましたが、
1994年にルドルフ・ジュリアーニが市長に当選すると
「割れ窓ガラス理論」(軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、
凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論)を
活用して治安対策に乗り出しました。

•落書き、未成年者の喫煙、無賃乗車、万引き、花火、爆竹、騒音、
違法駐車など軽犯罪の徹底的な取り締まり
•歩行者の交通違反やタクシーの交通違反、飲酒運転の厳罰化
•路上屋台、ポルノショップの締め出し
•ホームレスを路上から排除し、保護施設に強制収容して労働を強制

などの施策をおこないました。

そして就任から5年間で犯罪の認知件数は殺人が67.5%、強盗が54.2%、
婦女暴行が27.4%減少し、治安が回復しました。
また、中心街も活気を取り戻し、住民や観光客が戻ってきました。

環境は、人を創るといわれています。
犯罪が多い街では、その環境に染まり犯罪をおこなってしまったり、
また、経済的な環境も犯罪などに強く結びつくとされています。
※参照ウィキペディア

ただ、私は環境だけで、犯罪が減少するのではないと感じています。
人は心の奥底で、犯罪などをしたくないと感じているはずです。
実際に環境に負けない人も多くいることも私たちは知っています。
苦しい環境に生まれながらも、それをバネに、社会に名を遺す素晴らしい人はたくさんいます。
もちろんその逆で良い環境に生まれているにもかかわらず、全てを失ってしまう人もいます。

人は犯罪を起こす資質があり、また同時に、善い行いをする資質も兼ね備えていています。
その分かれ道は、自分の心の働きによるものだと思います。

社会貢献性を本質的に考えていて、高遠な理想を思いめぐらせている人が、
邪悪な道に落ち、苦悩することは少ない気がします。
逆に邪悪な思いばかりをめぐらせている悪の王道を進んでいる人が、
気高い目標を達成して、真の幸せを感じるということも無いように感じます。

心は私達の身体の指揮者のようなものです。
どんなに困難環境においても、心が良い方向に向いていれば、身体は、自然とその方向に向きます。
目がその方向に向き、足がその方向に歩みだします。
真剣に追求しだすと、自分の周りに応援者が増えて、環境すらも変わります。

私は、環境や自分の才能の無さと戦うことをよくテーマにしていましたが、
この年になって気が付くことは、環境や才能によって生まれた結果だけではなく、
客観的に原因を探り、その改善に努めることが全てであるということです。

失敗の原因は、環境や生まれ持った能力から生まれたのではなく、
現実に目を向ける勇気が無かったことから生まれていると思います。

2022.11.15

自ら時代の色に染まるということ

毎年、季節の花……特に桜などが、3月の末くらいから咲き出してしまうと、
まだ少し咲くのには早いのになぁ~などと考えてしまいます。

春はやはり、4月が似合う。
新入生や新人が希望に胸を膨らませて、桜散る街並みのなか上を向いて歩くのが良いと思ってしまいます。
季節に合わせて、花は咲くのでしょうが、そのタイミングは、環境に合わせて微妙に変わるということは、
自分が生きながらえるために重要な本質であるという教えのような気がします。
実は、とんでもなくすごいことなのではないかと・・・

進んで時代の色に染まることは、生きるための知恵です。
話題性の高いものをいち早く取り入れ、その潮流に乗ることは、一番大事な「商売カン」でしょう。
何が今、売れるかを把握することは、とっても大事です。

洋服や化粧、食べ物や中にはスポーツの科学的な練習の仕方なども流行り廃りがあります。
商売カンの優れた人は、それがどこまで続くか?
表皮的な上っ面ではなく、深層心理的なことを見極めて、時代の変化をとらえるのでしょう。

商売の基本は、ベストセラーよりロングセラーなどとよく言われますが、
ロングセラーが出せる人は、ほんのわずかです。
そのうえ、ベストセラーよりも時代の話題性に左右されることが多く、それを狙うというより、
時代の変化をいち早く理解することが生き延びるコツなのかもしれません。

一世を風靡させることを「花を咲かせる」などと表現することもありますが、
季節の花すらもその環境によって、花の咲かせ方を変化させます。
環境の変化などは、自分で作ることはできず、
その適応能力こそが、次の世代に生き残る全てなのかもしれません。

2022.11.01

放任主義と育成主義

10月20日に日本プロ野球のドラフト会議が行われました。
六大学野球ファンとして、プロになりたいと志望届を出している選手が、
どこの球団に行くのかを楽しみに見ていました。

さて、プロ野球スカウトの方たちも今の時代は、選手の能力だけではなく、内面的なことも見ているようです。
かつては身体的な特徴「速い、大きい、力がある」などの能力を重視していたと思いますが、
今では「プロに向いた性格」であるかも見ているとのこと。

今の時代の指導方法においては、能力があるだけでは、なにか足りないものが出てくるようです。

プロ野球の指名に育成枠という制度があります。
あるスカウトの人は
「本当に育成であればよいのですが、育成ではなく、放任では、やはり人は育たないですね。」
と言っていました。

プロ野球でも人が育たないのか?? 
 
とそれを聞いたときに感じました。

選手を見出すのは、スカウトの力量ですが、その先はコーチや監督のお仕事となります。 

人と比較して、自分を高めることが大事なことのように言われていました。
今は、自分のスタイルを崩さず、そのままの自分で目標を達成することが良いとされているようです。

昭和の時代、王選手が最初から世界トップのホームランバッターを目指していたとは思えず、
努力の延長にそれがあったように感じます。
一方、イチロー選手や大谷翔平選手のように子供のころから、明確な目標を掲げて、
世界の舞台へ飛び込みながらも自分のルールで世界と戦う人は、他人との比較ではなく、
自分との闘いの中で己を高めて、それがどこまで通用するかを試しているのかなと思います。

高遠の理想を掲げる人は、放任で良いのでしょう。

素材の良さで、その大きな舞台に選ばれたにも関わらず、
努力をしないで、花開かず、去っていく姿を見るのは歯がゆく感じるものです。

大学時代の恩師、石井連蔵監督は、「真剣に取り組む人の持てる特権は、分厚い壁なんですよね。
その分厚い壁を破っていくことが、大事なのです。
もし、監督の仕事があるとしたら、その壁を作る環境を提供してあげることです」

とおしゃっていました。
プロ野球選手が育たないことをファンは、コーチや監督の責任であるとする風潮があるように感じます。
石井監督の言葉を借りれば、それは「環境を整えない」ことには一理あるかもしれませんが、
大前提は自ら、目標を作り壁にぶち当たっていくことです。

スカウトが、「能力」だけでなく「プロに向いた性格」も加味し、
選手に本物の「のびしろ」があるかを見極めるのは、大変な苦労があることでしょう。
それこそ数字だけでは、なかなか分からないものだと思います。

時代により変わり、人を選ぶ仕事。大変ですね。

2022.10.18

一言でいってみな

最近の投資家へのプレゼンは5分~8分程度にまとめて説明をする「ピッチ」が一般的になりました。
短い時間で、自分の長年の構想、携わったことを伝えるためには、本質をわかりやすく
具体的な言葉で表さないとならず、至難の業といえます。
また最近のピッチでは、社会の課題という大きな題材から入るのではなく、自分の素朴な疑問を提示して、

「その疑問って、皆さんも同じように持っていますよね?
だから、解決していくと社会全体の問題解決にも繋がります」

というような個人の疑問や課題に焦点を当てた問題解決がされているように感じることが多いです。

私が短い時間で話す際に一番気にするのは、相手の理解度です。
どこまで物事を把握しているかが分からなければ、自分の話のどこを端折ってよいか分かりません。
ついつい、自分の考えていることは、相手も分かっているはずだ…くらいの勢いで、
話をしてしまうこともあります。
自分では理路整然と説明しているつもりでも、相手には伝わっていないなんてときには、
こちらがまったく意図していない行動を相手がとってしまうのです。

短い言葉あるいは一言で説明をするときは、その本質を表す的確な言葉が必要です。
その言葉は熟考され慎重に選ばれたものでなければなりません。

「自分の考えや伝えたいことの意図がその言葉と合うか?」

「相手が勘違いをしないで、理解をしてくれるか?」

など考えて言葉を選んで伝えます。
私は、社員たちに質問には「アングロサクソン風に答えろ」と言っています。
先ずは、YES/NOを明確にして、Becauseの説明を入れる。日本人の中には、それが苦手で、
話しながら結論を探している人もちらほらいるように感じます。

また、説明をするときに

「『、』読点を入れず、常に『。』句点を入れて言い切りにしろ」

と社会に出てからある先生に言われました。
全くその通りで、短い言葉で説明をするときには、接続詞などが多いと相手に伝わりづらくなるものです。
また、説明が長いのも、「まとまっていない」ことが「ダダ洩れ状態」になります。

短い時間あるいは一言で何かを言い表すことは、長い文章を作るよりも
「何を伝えたい」かその意図を考えます。
自分の考えていることを適切に相手に伝えるための具体的かつ本質的な文章や言葉を
これからも考えていきたいと思います。

2022.10.04

自由な選択ができていますか?

不思議なもので、人は簡単な選択を迫られたときに、-例えば、洋服や鞄、美味しいお店を選ぶとか-
ネットの情報などを参考にしながら、評価が高いものを選びがちです。

それにもかかわらず、自分にオリジナリティが無いとか、「周りの人と一緒だね」などと言われると、
少々腹が立ったりします。
選択の基盤が「周りの意見」を参考にしているので、オリジナリティなどあるはずがありません。
まぁ、さほどこだわりのないのことには、周りの評価で選べば間違いはないのでしょう。

オリジナリティがある商品を選ぶのは、「本当にこれが欲しい」という切なる理由があるときだけです。
それも、目新しいものが欲しいのではなく、世の中にすでに出回っているもので、
「これが欲しい」というモノと自分のイメージが結び付いているときに限ります。
当社のシステムは、オリジナリティが非常に高い商材・サービスなのであまり競合がいません。
競合がいないと売れると思われがちですが、顧客にとっては選択肢が無いことは、
マイナスの要素になることもよくあります。
「どこで実績ありますか?」
「他社との違いは何ですか?」
が定番のご質問です。
他社で使われているということや、他社との違いが「選択」の大事な要件になります。

人は、自分の経験の中から都合のいい取り出しやすい情報をもとに、
対象と比較して判断しやすくしていると思います。
仮に、自分の経験値が足りなければ、導入事例などの他人からの情報に自分の背中を押してもらいます。
日本人の場合、ビジネス上での判断を上司や周りの人に委ねる傾向があるため
基本的には物事の判断に時間かかります。
担当者は、判断材料となる機能の比較表や他社で使われた事例を取りまとめるだけです。
まとめられた比較表の中から「数字」を判断材料にしたとき、
利益とコストをはっきりと提示されるとバイアスがかかりやすくなります。
人が利益よりも損失に対してはるかに強く拒否反応がでることは、
多くの研究で一貫して証明されているのだそうです。

テレビCMやテレビ番組が取り上げてくれた影響で物が売れた時代は、他の人も使っているということで
選択が簡単に行えました。
ただ、それは個人の自由な選択を引き出しているのではなく、洗脳的な手法で導かれた選択にすぎません。

人は、衝動のために長期的で継続的に生まれるはずの利益を失ってしまう場合があります。
そのような結果を生み出さないためには、選択を左右する要因を把握し、衝動という誘惑と自制のはざまで
自分をごまかすのではなく、誘惑に負けない自分を習慣化が必要です。
また、衝動的な誘惑に負けないためには「計画的な息抜き」という設定もあるかもしれません。
長期的な目標とプラン、信念に基づいた判断にやはりかなうものは無いような気がしています。

2022.08.10

『我』をとる

私は昭和の人間で、特に「星飛雄馬世代」です。
そんな私には馴染み深い「血の汗流せ、涙を拭くな」ですが、令和の今日を生きる人々にとっては少々分かりづらい表現かと思います。

私がそうであったように昭和の星飛雄馬世代の人々は、苦労をすればその先に新たな素晴らしいものが待っていると教えられてきました。

ただ、私が経験して分かったことは、苦労をしてもその先には、やはり苦労しか待っていないということです。
苦労が染みついてしまうと、毎日の日々の戦いに負けてしまい、愚痴と人の批判を自分の糧にしてしまい、目標を見失います。

失敗の連鎖から抜け出せないのは、自信のない自分が、自分をより大きな人間に見せるために実現性の低いことを、あたかも現実のように語っているだけに過ぎません。
一発逆転を狙ってしまうので、どうしてもステップアップができません。

まずは、身の丈のところから小さな成功を収めていくことでその先が見えてくるのです。

「笑う門には福来る。笑門来福」いうことわざがあります。
福が来るから笑うのではなく、笑うから福が来ると言われてきました。
あくまで、笑うことが先です。

この「笑う」には、人の悪口や泣き言などを言わずに、より良い方向に目を向けることという意味があるように思います。
先に笑うことで、福はあとからついてきてくれるのであれば、自分が目を向ける先を良い方向に変えるだけで、福が訪れることになります。

確かに、よく笑う人にはどんなに困難な場面でも前向きに問題を解決する能力があるような気がします。

2022.07.12

娘のための父親の土下座

万引き犯を捕捉する私服保安員のAは、長年の勘で「万引きをしそうな緊張感を持った顔をした人」と「普通に買い物をしに来た人」を見分けることができるといえるほどの自信を持っていました。

そんなベテラン保安員Aが、女子高校生に人気のファンシーショップで警備に当たっていた時の話です。

Aがいつも通り警備に当たっていると、一人の女子高校生が入店しました。
地元の有名女子校の制服を着ている彼女を見た時、Aは万引き犯特有の「緊張」を感じました。
普段であれば、その制服をみて万引き犯として疑うことはほとんどないのですが、どうも様子がおかしいように思い、Aは彼女に気づかれないように、一つ離れた什器の陰から注意深く見ていました。
彼女には、万引き犯に見られる目立ってキョロキョロするなどの動きはありませんでしたが、周囲の気配を感じ取りながら商品の前にたたずみ、他の買い物客がいなくなるのを待っているかのような動きがみられました。

しばらく見ていると残念ながらAの勘は当たってしまい、女子高校生は周りに人がいなくなるとかなり大胆に化粧品を2つ自分のカバンに入れました。
通常、万引き犯は犯行の際も周囲の様子を窺うものですが、彼女はあたかも自分が持ってきた化粧品のように自分のカバンに入れたのです。その自然さは、最初から行為を見ていなければ発見することが出来なかったかもしれません。

Aは、会計をせずに店を出ようとする女子高校生に出入口で声をかけて、捕捉しました。彼女は、驚いた顔でAの目を凝視しましたが声は上げず、落ち着いて店舗のバックヤードにある事務所に促されるままについてきました。

事務所では、女子高校生は言葉少なく、Aの指示通り万引きした商品と学生証を出しました。Aが、彼女に保護者に迎えに来てもらわないとならないことを伝えると「母親には連絡したくない」と強く拒否をしました。
店のルール上、未成年の万引き犯を一人で帰宅させてはならないことになっており、どうしても拒否する場合は警察に届けることになると
伝えると、彼女は店から1時間程度の会社で勤務する父親の連絡先を言いました。

店長は、少しあきれながらも父親に連絡をし、彼女には「1時間以内にお父さんが来なければ、警察に連絡をする。こちらも忙しい」と告げました。

その後、一時間もかからず父親が事務所に駆け込んできました。

英国紳士風の身なりで地位の高さを感じさせる父親を見て、Aは少し身構えました。
なぜなら、親の中には万引きをした子供を責めるのではなく、万引きを捕まえた保安員を責めてくる「逆切れする親」が少なからずいることを過去の経験から知っていたからです。

父親は、女子高校生の顔を見ただけで何も会話はせず、店長に近づき顔を見つめてから、事務所の汚れた床を少し眺めました。
そして、突然すべてを投げ捨てたかのような勢いで地面に這いつくばって、土下座をしたのです。

「誠に申し訳ございません。すべては、私の責任です。警察には通報しないでください。私が娘の代わりに警察に行きます」

Aはその父親の姿とその姿を見つめる女子高校生の姿を交互に見て、この女子高校生は二度と万引なんて行為はしないだろうと感じました。

2022.06.14

チェンジリーダー(歌は世につれ、世は歌につれ)

私が、P・F・ドラッカーの著書の中で初めて読んだのは、『明日を支配するもの』でした。

当時お付き合いをさせていただいていたコンサル会社から「読むべき本」として勧められて購入しました。
本書は1999年3月に発売してから、23年経つ現在も多くの人に読まれています。
読了した当時は、とにかく、その情報量の多さに圧倒され、読めても理解は1/10にも
達してなかったと思います。

その後も、ドラッカーの著書は多く読みましたが、難しそうな本を読んだ自己満足がほとんどで、
未だにどれくらいのことが理解できているかは自分でも不明です。
ここからもう一度、本質の理解を深めながら読んでいきたいと思っています。

『明日を支配するもの』では
「チェンジリーダーとは、変化を機会としてとらえる者である。変化を求め、機会とすべき変化を識別し、
それらの変化を意味あるものとする者である」
と書かれています。

確かこの一文の前後に、“変化は、自ら作りだせない。その先頭に立つ者がいるだけだ”というような
ことが書いてあり、とても印象に残っています。

今、世界を取り巻く変化を見ているとドラッカーの言葉は、予言のようであるように感じます。

当時の私は、「変化は自分で作れるのではないか?」「世の中を変えられるのではないか?」と
おこがましいことを考えていましたが、ビジネスの世界で考えると、変化を読み取り、
その先頭に立つことが生存競争そのものでした。
自分が考える変化の波よりも、社会や生態系の変化のほうが、はるかに大きな波であることが分かります。
波が大きければ大きいほど、その先頭に立つ者の影響力は変わっていきます。

コロナやロシア・ウクライナ問題など、トップダウンだけでは解決できないことが多くあり、
優秀な国のトップですら、その判断を見誤ることがあります。
特に、変化とは自分で生み出すものであると勘違いした国のトップは、はるかに大きな社会の波に
吞まれていきました。

大きな変化の波の先頭に立ち、変化を機会ととらえ、良い方向に導くのがチェンジリーダーです。
テレビや映画のプロパガンダで人をコントロールできる時代があり、情報は権力になることもありました。
ですが、現在は情報が縦横無尽に錯綜し、情報を流す側も人々が作る大きな波に押しつぶされることがあります。

歌は世につれ、世は歌につれ・・・

古人は、本質的なことを思い出させてくれます。

2022.05.17

心のふるさと

30年ほど前、都の西北 甲州街道沿いの西早稲田に「ふるさと」というカウンターだけの小さな一杯飲み屋がありました。
新宿のゴールデン街のような一杯横丁的な古びた木造建築が建ち並ぶ場所に「ふるさと」はあり、もちろん、出入り口はガラガラと、引き戸を開けて敷居をまたいで入ります。

現在は、東伏見に移転した野球部の「安部球場」や寮も、
私が大学2年生の時までは早稲田大学の校内やその周辺にあり、
私たち野球部員たちの生活の基盤は専ら西早稲田でした。

さて、「ふるさと」のカウンターは、「コ」の字にもならず、縦7席、横3席程度。

古びて色褪せた木の壁には所狭しと
歴代の応援部、野球部、バレー部、、、などの
体育会系卒業生の色紙や写真などが貼り付けられていました。
当時、プロ野球選手として、現役バリバリで阪神で活躍されていた
岡田さんの写真や応援部の色紙には、「酒の一滴、血の一滴」などの言葉が寄せられており、
バブル期の時代でもバンカラな早稲田がそこには残っていました。

1、2年生の時の私は、上級生の遊び道具要員だったので、
「ふるさと」に行く(拉致のように連れていかれる)のは苦痛で苦痛で仕方なかったのですが、
3年生程度から、少し落ち着いて自分の意志で行くようになりました。

練習が休みになる前日は、決まって「ふるさと」に集合して、
それから新宿の繁華街に遊びに行くのが野球部の常だったように思います。

なぜ、そうまでして、「ふるさと」にいくのかというと、
もちろん、学生が安く酒を飲めるのもありましたが、
それよりも、水戸弁のおやじさん(小川さん)がカウンターにいたからだと思います。
当時の体育会系は、馬鹿みたいに走らされたり、理不尽に殴られたり、
無駄に先輩の面倒を見なければならないことがたくさんあり、
そのようなことを酒の肴に「ふるさと」で飲んでいました。
「ふるさと」は、現役の選手達が、外では言えないことも言える場所で、
代々の先輩たちもそうして、酒を飲んできていました。

小汚い酒場で、学生が馬鹿みたいにデカい声で笑ったり、
熱っぽく話したり、楽しい時間でした。
飲んで、笑って、泣いて、楽しむ姿を小川さんは良く見守ってくれました。
小川さんは水戸弁で
「サブちゃん、そ~よ~。」
「そりゃ~違うよ~」
と相槌をしてくれました。
今思えば、大したことはない何気ないやり取りでしたが、
当時はそのやり取りにホッとさせられていました。
 
個人的な考えですが、日本人が指すふるさとという言葉には、
自分が生まれた場所という意味だけではなく、
自分の心の成長をさせる場所という意味もあるように思います。
学生時代の私にとって西早稲田の「ふるさと」で過ごした時間は、
心の成長に必要なかけがえのない時間であり、
まさに「こころのふるさと」でした。

そんな「ふるさと」を卒業してから10年ほどたったころ、
小川さんが癌で入院されたとの連絡が入りました。
野球部OBの先輩が、中心になり、入院費をカンパしたり
できる限りのことをさせていただきましたが
その後、他界されてしまいました。

小川さんのお通夜は、飲み屋のおやじのそれとは思えないほどの長い参列でした。
ふるさとを卒業した人達、誰もが小川さんに感謝を伝えに行きました。

2024年11月
« 10月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

月別アーカイブ

HOME
Service+
Lab+
Archive+
Company+
Contact