サブロー通信

サブロー通信は、アースアイズ代表 山内三郎が配信するメルマガです。
本ページでは、2019年4月〜現在までのサブロー通信をご覧いただけます。

2020.08.04

笑って死ねる人生それさえあればよい

昔、角川の映画で、このような歌詞の歌が主題歌で流れていました。

この歌詞は、戦い疲れた戦士がやっと死ねるという表現の歌詞だったように記憶しています。

子供のころに聞いたその音楽とフレーズは、強く耳に残っていますが、今でも歌えるかな(笑)
笑って死ねる人生があれば、本当にそれでよいと思います。死んでみないと分かりませんが、死ぬ間際に、人は、走馬灯のように自分の過去を振りかえれると聞きます。
その時に自分がどのような生き方をしたのかは、自分で、言い訳なしで見返すことができるでしょう。
その時本当に『笑って死ねるか?』はかなりの疑問です。後悔ばかりが先に立つような気がします。
後悔とは、自分が犯した罪です。
あいつが嫌い、
あいつがおかしいことをした、
と他人に問題の原因を転嫁して生きることはできます。
しかしそのことが、死の間際の走馬灯で自分の後悔の映像を目の当たりにし、それを脳裏に焼き付けながら逝くことに帰結させてるのだと思います。
過去を変えることはできませんが、過去を糧に、前に進むことはできます。
人生の前半は、多くを経験をして、多くの罪も犯しました。後悔の連続です
人生の後半で、やるべきことは、決まっていて、つぐないです
笑って死ねる人生を目指したいです。
2020.07.21

『運が良い人』と『運の悪い人』を見極めることができますか?

かなり前のTVで、田原総一朗さんが、松下幸之助さんへインタビューした回想シーンを観たことがあります。

『どんな人を採用するのか?』という田原さんの質問に対して、松下幸之助さんは

『運のいい人』

と答えたそうです。田原さんは更に、
『そんなことが分かるのですか?』

と質問をすると松下幸之助さんはしっかりと目を見て

『分かる』

と応えたそうです

私はそれを視聴して、『なるほど、運のいい人を採用すればよいのか!』と思い、面接をするときに、『あなたは、ご自分で運がよいと思いますか?』と聞いています。

あまりにもストレートな質問ですが、私には、松下幸之助ほどの慧眼は、ありませんから、聞くのが早いと思って、質問をさせて頂いています。

ただ、困るのは、面接をされる側の人のようで、この予想しない、意図もわかりづらい質問にまともに回答できる人はほとんどいません。
ほとんどの人が迷いを生じた態度になり、素直な心ではない、取ってつけたような回答になります。

100人質問して、自分が『運が良い』と目をキラキラして自信をもって応えられる人は一人もいません。それくらいの確率です。

私は1000人以上の面接をしましたが、正確に『私は運が良い』と応えられたのは、1人だけです。

その女性は『私は本当に運が良いのです』と応えると、聞いてもいないのに、自分の運が良いエピソードをしゃべりだしました

その女性は、東日本大震災に見舞われたときに東北の実家に住んでいました。その大地震の時、家の裏山が崩れて、本当にすぐ近くまで、大量の土砂が流れてきたそうです。

家の庭は大変なことになったそうですが、家は、無傷だったそうです。それを楽しそうに『私は運が良い』と話していました。

彼女は、面接時に自ら説明していましたが、生まれながらの聴覚障碍者で、私の声はほとんど聞き取れず、私の言葉を口の動きで見極めていました。
楽しそうに話す彼女を見て私は、『運の良い人』という質問をしておきながら、正解を教えてもらった気分でした。

それは、『運の良い』と思う人も、『運の悪い』と思う人も、両者とも『思い込み以外』の何物でもないということです。

どうして、その違いが生まれるというと、人生を積極的に考えているか? だけのことです。運が良いと思っている人は、失敗しても、諦めず、さらに多くのことにチャレンジすることでしょう。

運が良いと思っていれば当たり前のことで、チャレンジを続けることは、成功確率が上がることを意味します。

逆に『運が悪い』と思い込んでいる人は、結局、俺ばっか・・・・とあきらめてしまうかもしれません。

私は即座に彼女の入社を決めました

2020.06.25

そして、人は、龍になり、人を守る

鯉の故事Wikipediaから
中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。栄達するための難関を「登竜門」と呼ぶのも、この故事にもとづく。

竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。栄達するための難関を「登竜門」と呼ぶのも、この故事にもとづく。 初期の鯉のぼりは真鯉(黒い鯉)の一色のみだった。歌川広重の『名所江戸百景』では大きな真鯉一匹が描かれている。

今年のこどもの日は、いったい、どうだったのかが?記憶にもないくらいなので寂しい限りですが、こどもの日に鯉のぼりを家の前で高く空に掲げるのは、この古事からきているといわれています。(諸説あります)

自らの愛する子供を鯉になぞらえて、『のぼり』を上げて、多くの人に見てもらうように表現する意味は?? なんなのでしょう?

古事から読み取れば、鯉の滝登りのように苦難を乗り越えて『立派な竜(龍)になってほしい』という願いがあるということになります。

 立派な龍とは何なのでしょうか?

 私は正確な答えを持ち合わせていませんが、平安時代からあると言われる鯉のぼりの風習と同時代にどのように龍が表現されているか?? をネットなどで見ると、お寺などの境内や建物に多くの彫刻として刻まれていることが分かります。

写真は、2年ほど前に、娘と一緒に行った台湾の龍山寺です。(画像引用:https://www.wbf.co.jp/taiwan/kanko/ryusanji.php
建物は、龍の彫り物だらけで、柱から屋根まで見事な龍が造られ、描かれています

日本にも『龍』の文字がつくお寺はたくさんあります。

 龍はお寺そのものというより、仏教(法)の守り神とされていているそうです

日本でも聖徳太子の17条憲法、第二条は、『篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧である』とうたい、その時代、仏教で人の心を導いていました。その仏法を守る人とは、それは、それは尊い人だったのでしょう。

日本の鯉のぼりとは、その龍になってほしい教えであり、龍とは多くの人を救える人になってほしい願いを方便として表現しているのであると思います。

 コロナ渦の中にありますが、科学や医学が進化した今、神の祈りだけではなく、人が人を救える時代です。無駄に怯えたり、批判の心ではなく、一人一人の行動で世界を変えられます。

 今、自分にできることに全力を尽くしたいです

2020.04.16

コロナに勝った後

窮即変、変即通

窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず 『易経』

It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives.
It is the one that is most adaptable to change.
最も強いものでも、最も知的なものでもない。

生き残る種とは、変化に最もよく適応したものである。『チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)』

変化はコントロールできない。できるのは変化の先頭に立つことだけである『P・F ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)』

 現在の環境が絶望的に厳しく、それでも必死になって考え抜いて、生き残り、新たな変化を生み出した企業や人は、次の社会の世界的なリーダーになれるのではないでしょうか?
大事なことは、この状況を絶望的に感じている人だけです。
身体ごと変異できる人は、生命の危機を感じなければならないからです。

aftercorona

News pics 資料参照

 とにかく、沈静化を心から願いますが、大きく変わる世界で今後のことを考えなければならない状況です。
テレワークは常態化するでしょう。会社はもちろん、学校なども大きく変わってきています。
 ただ、コロナで分かったことは、人の関係は希薄化されていないということです。
 このウィルスは、人を媒介として運ばれています。世界中の人がこの短期間でこんなに多くの繋がりを持っているということに驚きます。
私は中国の武漢という都市に行ったことはありませんし、地理的にもまったくの無知でその場所を地図上で指し示すことすらできません。
2020年1月に発生されたとされるそのウィルスには、本当に他人事で、中国から外には出ないものと思っていました。
それが、3月9日イタリア、11日デンマーク、13日ポーランド、14日スペイン、17日フランス・・

とヨーロッパに飛び火。日本では2月28日に北海道で外出自粛要請がでました。

武漢という私は知りもしなかった街の出来事が、数万・数十万?という人を介して、ほんの数か月で既に、いつ私が感染してもおかしくない環境になってしまいました。

 ウィルスには国境が無く、人種の差別もありません。人間であれば平等に対象となってしまいます。
しかも、仮に自分が感染者となった場合、その私のおこないが、多くの人に伝播させてしまう影響を持ちます。それは、また、誰でもが平等に持ち合わせます。
 主体はウィルスで、人はその媒介されるものでしかありませんが、その行動はあっという間に世界に繋げることができることが証明されているような気がします。
人の身体の中に宿ったがん細胞が身体全体を蝕むように、地球上に広がりました。人間も自然界の一部であり、ウィルスを拡散しました。

 この世界的な危機を乗り越える何かがあれば、それは、ウィルスが拡がった以上の速さで、正確で精巧な情報を違う方法で拡散することだと思います。
人は、繋がりの仕方が変わるだけで、人の繋がりそのものが変わることは無いだろうと私は思います。

この繋がりの方法が今後の組織の在り方のキーワードであるような気がしています。

指導者が一つになり、経済的に封鎖するのではなく、より、繋がりがあることを理解し、世界的なリーダーが生まれること期待します。
2020.03.23

占いを信じますか?

みなさまは占いを信じますか?
私は『占いなどは信じない!』と言いたいところですが、そんな現実的な自分とは裏腹に『これから仕事はどうなるのだろうか?』などと聞いてみたい自分がいたりします。
15年くらい前の話ですが、広島に出張した時、お客様と居酒屋で飲んでいて、『二次会どうする?』という話になりました。『若い女の子がいるカラオケに行きますか? それともよく当たる占いのおばちゃんがいるスナックがあるけど、どっちにします?』と地元の人に問われ、私はなぜか、『占い』を選択しました。

そのお店は普通のスナックなのですが、確かに『おばちゃん(申し訳ありません!!)』がいました。
ちょっとした自己紹介を受けて、占いを見てもらいに来たと伝えると、『占いを聞きたいの? いいよ。でも、私はこれで商売しているわけではないから、良いことも悪いこともはっきりいうけど、大丈夫かい?』と問いかけ、始まりました。
『生年月日は?』『生まれた時間は分かる?』『生まれた場所は?』など本格的な質問をされた後、年季がはいった分厚い本を取り出して、ページを開いて、何やら分度器みたいな表に線や文字を書き込みました。
すると、おばちゃんは『これは、大変だね』と一言だけ。そのまま絶句してなかなかしゃべらない。私は〈それだけ???〉と思いながら、『ここまでも結構、苦労したのだけど?』と促してみると、『運命はしょうがないね~』と、にべもない返事。そして、おばちゃんは
『地獄が来るね』とポツリとつぶやいたのでした。
そこまで言われると、続けて質問する気もなくなってしまいました。

おばちゃんは『通常の占い師は、お金をもらっているので、悪いことは、ストレートに伝えないで、回りくどく言葉を選んで伝えるんだよ』『だから、すごくいいこと以外は、あまり信用しないほうがいい』『だいたい、人生は、悪いことのほうが多いに決まっている(笑)
』などと同じことを繰り返しながら、『私は、お金もらってないから。はっきり伝えられるのよ』『あなた、頑張って生きるんだよ』だって(笑)。

その後、私は、ご指摘の通り、地獄行となりました!? その具体的な内容は差し控えますが、地獄は寒くて、暗いところでした(笑)。

【窮すればすなわち変ず 変ずればすなわち通ず】(『易経』)
【生き残る種とは、最も強いものではない。 最も知的なものでもない。 それは、変化に最もよく適応したものである】(ダーウィン『種の起源』)

このような名言もありますが、これは成功者や結果を見極めた研究者の言葉です。実体験を振り返ると、生き残るためにどん底で変化の最中の人にそんなこと言われても何も意味はなく、心に刺さる言葉ではありません。

今もそうですが、毎日が必死で、変化の最中です
いつも窮地に落ちるとそうなのですが、なんとか、『同じ失敗の繰り返しをなんとか回避したい』というのが一心の気持ちです。

占いを信じるかどうかというと、私は信じているほうだと思います。
ただ、占い師の御託宣が合っているかどうかは分かりません。その根拠が分からないですから(笑)。そこがどうも微妙な感覚です(笑)

ただ、私の場合はあの占い師が言う通り『地獄』に遭遇してしまいましたが、そこで諦めず、もがき苦しむ中で見えた出口の先に果たすべき『使命』が待っているようです。
今はその使命に向かって全身全霊で突き進んでいきたいと思います。

2020.02.18

『しもやけ』と『働き方改革』

私が子供の時に住んでいた神奈川県の相模原市は、神奈川県でも大都会のイメージの横浜や爽やかな海のイメージの湘南などからは程遠く『さがみっぱら』と呼ばれるような地域で、その名の通り『原っぱ』だらけのところでした。冬の朝には庭のバケツの水が必ず凍っており、地面には霜柱が立っていました。
子供だった当時はまったく気にしていませんでしたが、その頃小学生が履く靴などは、おそらくかなりの安物で、冬場に凍った水たまりなどをバシャバシャ走り周っていると靴下がすぐにビショビショになっていました。
『足が冷たいなぁ』と思いながらも、そのままほったらかしにしていると、足の小指が赤く芋虫のように腫れあがり、かゆくなりました。それを見た父親が『それはしもやけだな。寒くて血の巡りが悪いんだ』と言って、わたしのかゆくなった足先を石油ストーブの前で揉んでくれたのを覚えています。最近では『しもやけ』になったという話もあまり聞かないような気がします。地球温暖化の影響で、冬がそれほど寒くなくなってきているのかもしれません。
昔は寒さがしみる冬に身体を温かくするマフラーやセーター、手袋などは手編みすることが愛情表現の一つだったような気がします。厳しい寒さをしのぐ暖かい手編みの衣類を身につけると、子供心にも母の愛情を感じたものでした。小学生の頃、母が編んでくれた手袋をはめていた記憶があります。残念ながらすぐに指の先に穴があいてしまうのですが、気にしないでそのままはめていました。
いつの頃からか手袋やマフラーは買うものとなり、現在ではかなり安価でどこでも買えます。1シーズンで使い捨てになってしまう場合もあり、愛情の象徴とは言い難いものとなりました。心を伝える『もの』ではなく、単に安くて便利な『モノ』となってしまったように思います。
長年使われたものでも、愛情のこもった手作りのものではないためか、愛着という言葉はあまり馴染まない感じがします。
日本では八百万の神と言われ、生物はもちろん長く使ったものにも『魂』が宿ると言われてきました。ただ、私ですら、20年以上使ってきた眼鏡のフレームが壊れかけ、買い替えようと思っている私は眼鏡に魂が入っているようには感じていません(笑)
仕事の効率化を図ろうとする「働き方改革」という言葉をよく耳にするようになりました。最近では、ビジネスホテルなどに行くと大変勉強になるのですが、AIコンシェルジュとでも言えるような色々な工夫があり、部屋から何かを尋ねようとフロントに電話する前に、自分のスマホで色々と調べられ、わかるような工夫をされていることが多いです。
ビジネスにおいては積極的に効率化を進めるべきだと私も思いますが、ただ、人間関係においては、心を運ぶ、繋ぐ、伝える、『もの』や『サービス』があっても良いかなと思います。
日本は『おもてなしのサービス』は世界一のレベルであると思いますが、その基本となるちょっとした細やかな気遣いが、効率化の中で省かれていくことは少し残念だなと思います
効率化というと、何か『楽になる』ことを追求することのように思われがちですが、不要に見えるものを省き、時間を節約した結果、大切なものを失う場合もあるということに気が付いたときに、本当の『働き方改革』になると思っています
2020.02.07

サブロー通信:万引きは捕まえるな

万引きをさせずに予防するにはどうすればいいかを必死に考えた

 

弊社代表山内三郎の経験談

 

万引きという言葉にはマイナスのイメージしかありません

万引き犯を捕まえたとしても、犯罪行為をした当人も、被害を受けた店も、見張っている保安員も、暗く重く

やるせない思いが残るだけです。

 

私は保安員の経験があります。いわゆる「万引きGメン」です。

万引き犯の捕捉は原則、現行犯でなければいけません。万引きを目撃しても、万引き犯が商品を隠し持った

まま決済せずに店舗外へ出るまで、声をかけることができません。犯罪が成立してから、ということです。

いったん隠した商品を商品棚に戻さないか? 更にもう一品盗らないか? など店外に出るまで目が離せ

ません。何よりも、万引き犯かもしれないという不審な人物を探し回り、気づかれないように後をつけることに

疲弊します。

捕捉したら、逃げられないよう、あるいは暴行を受けないよう、細心の注意を払いながら事務室へ連れて行き、

面談をします。万引きした商品を全部出させたうえで事情や身元などの聞き取りをおこないます。

※取り調べそのものの行為は一般人にはできません。警察でおこないます

万引き犯として補足される人は、老若男女、十人十色、本当に様々です。そしてほとんどの人が「初めてです」と

言いますが、常習犯はその手慣れた行為から、捕捉した保安員には分かります。単独で自宅に帰すことは厳禁

で、保護者や家族を呼んだり、警察を呼んだりします。場合によっては、出入り禁止にすることもあります。

捕捉後、数時間かかる作業です。

 

日々そのようなことを続ける中で、どう対応することが本当に正しいのか当時の私には分からなくなっていま

した。

ここ10年くらいの傾向ですが、お年寄りの万引き犯が増えています。食の細い老人が食べる量は、たかが

知れていますので、おにぎり1個や菓子パン1つを万引きしたりします。それを捕捉するのはこちらも心が痛い

のです。

 

保安員を始めた頃の私は怪しい人物を見つけたら、「万引きしないかな」「早くやらないかな」「捕まえて手柄を

立てたいな」などと思って監視をしていました。しかし、万引き犯を何度も捕捉するにつれ、そういう浅ましい

考えは無くなっていきました。実際は万引き犯を捕まえても後味が悪く、やるせない気持ちになるだけだったから

です。

 

そんなある日、怪しげな人物を見張っていた私は自分の心の声にふと気づき、驚きました。不審な人物を注視

しながらも「やめろ、やめろ」「やるなよ」「ちゃんと買ってくれよ」と心の中でつぶやいていたのです。

ある時には、立場上本来はいけないのですが、万引きしそうな気配が感じられた小学生くらいの子供に歩み

寄って話しかけ、違法な行為をしないよう促しました。

そしてだんだん「万引きをさせないためにはどうしたらいいのか」と考えるようになっていったのでした。

 

万引きは捕まえてからの対応自体が時間と労力の無駄なコストであるというだけで

なく、捕まえる側の心理的ストレスも大きいのです。

 

私はふと、「自分のやっていることを続けると万引きが減るのではないか?」と思いました。

つまり、お声掛けです。万引きしそうな不審者に、「いらっしゃいませ」と声をかけるのです。

周りから見ると変なおじさんのようですし、万引きを捕まえないのですから、保安員としての私の実績もがた

落ちでしたが、仕事をしていないように思われるのは本意ではないので、警備日報には「今日はお声掛けを

5件おこない、万引きを防いだと思う」と記録を残すようにしました。

それを1か月ほど続けると、私がお声掛けをした数は数百件に上り、その後も地道に続けていました。

 

ある日、店長に呼ばれました。万引き捕捉の実績がない私は「解雇されるのかな?」と思っていましたが、店長

は棚卸の商品ロスのデータ表を見せながら尋ねてきました

「棚卸の結果、商品ロスが劇的に下がっている。何かこころあたりあるかい?」と。

店長は、私が万引きの常習犯を何人も捕まえたのではないかと思ったのかもしれません。私は警備日報を

見せて、万引き犯を捕捉するのではなく、不審な行動をしている人物にお声掛けを続けていたことを説明しま

した。

怪訝そうに聞いている店長に私は我慢強く説明を続けました。声掛けをしたリストを見せながら、「この女性は

大きなカバンを持ってうろうろしていた」とか、「この男性は商品をもって防犯カメラの死角の位置でキョロキョロ

していた」などと、具体的な状況をイメージできるように身振り手振りで説明しました

私にいくつか質問をしながら話を聞いていた店長は、だんだん、私のしてきた行動が肚に落ちてきたようで、

一通りの説明を聞き終えた後、「そうか!不審者に声をかけてくれたのだね!声をかけられた不審者は万引き

できるはずがない。それを一日に何人もしてくれていたのか? 1日5人、30日で150人、半年続ければ900

人。それならロスが下がるのは当たり前だ。それはすごいね。捕捉するよりはるかに効率的だ。」

と話し、表情が明るくなりました。私の行動を私よりも深く理解してくれました。

そして、それに続けて言われた店長の言葉が私に刺さりました

「お声掛けか。サービスの質の向上がそのまま防犯にも役立つのだね。」

 

不審者に声をかければ、それだけで万引きを抑止することができるのです

 

 

万引きを防ぐ魔法の言葉『いらっしゃいませ』

サービスの向上がそのまま防犯に役立つのです

 

AIガードマンは、不審な行動をしている人にお声掛けをすることで、万引きを防ぐツールです。

最も多く行われている犯罪行為の一つである万引きを未然に防ぎ、犯罪を生まない売り場が増えることは、

私たち一人一人の身近な生活の「安心・安全」にもつながる、非常に大切で意義のあることだと考えています。

2020.01.20

鬼の連蔵

 2020年1月14日、早稲田大学野球部で監督をされていた故石井連蔵監督の野球殿堂入りが報じられました。
 石井さんは早稲田大学野球部の選手として投手で4番、首位打者も獲得した一流選手であることは間違いないのですが、野球殿堂に選ばれた理由としては、監督として1960年の『早慶六連戦』を指揮したことが大きいようです。
 1958年に25歳で第9代監督に就任すると、同郷の大先輩飛田穂州ゆずりの精神野球を掲げ、投手中心に守りの堅い野球を主導。就任3シーズンでチームを大学選手権初優勝に導きます。
その猛練習は「千本ノック」「ノックを逃げた選手を追いかけノックするうちにグラウンドを一周してしまった」「日が沈んでもボールに石灰をまぶしてノックを続けた」などの逸話に代表され、眼光と厳しい顔立ち、過酷な練習から“鬼の連藏”と呼ばれました。
 慶大と激闘を繰り広げた伝説の「早慶6連戦」は、今でも語り草となっています。神宮球場は6試合全て満員で、延べ36万人の観客が集まりました。2勝1敗で勝ち点を挙げた早大は、慶大との優勝決定戦に持ち込み、2試合連続の引き分けの末に第6戦を制しました。
石井監督はのちに「日本中が注目し、私自身もあの6連戦で野球の基本を勉強させていただいた」と振り返ったそうです。
 一度は、監督を勇退されましたが、低迷する早稲田を立て直すために『最後の切り札』として、1988年に第14代監督として再び野球部を指揮しました。
 再就任された時、私は3年生で、石井監督から2年間、野球を教わりました。
 当時のことを振り返り、正直言うと、野球というより、『魂と魂のやり取りの仕方』を教わったような気がします。なかなか言葉では表現しづらいのですが、監督がグランド
にいると、強烈な個性と存在感でグランドは常に支配されていました。練習は、一瞬たりとも気を抜くことができません。かすかな殺気さえ感じとれました。
 ある日、外が雨で、雨天練習場で練習をしている時の出来事でした。私は、メインの一軍メンバーとは異なる場所で練習をしていました。一軍から離れたところにいて、雨天練習ということもあり少し集中力が欠けていたのかもしれません。バッティングマシンでのバント練習で失敗をしました。すると遠くにいたはずの監督が近寄ってきて、一軍選手を私の周りに集め、烈火のごとく怒りだしました。
私にバントを再びさせ、さらに何度もさせます。私は必死に成功させますが、それでも満足しない監督は、
『バットの芯を右手で隠すように持て』と指示しました。
 バントは、バットの先端にボールを当てるなど芯を外し、投球の勢いを殺してボールを転がすプレーです。確かにバットの芯にボールは当てません。
しかしながら、バットの芯と先端部分はほんの10センチほどしか離れていません
その芯を手のひらで隠し持つということは、ボールが飛んでくる側に指を出し、バントをしろということです。数センチ間違えれば、140キロ以上の速球とバットの間に指を挟むことになり、失敗すれば複雑骨折で、野球生命が終わってしまうかもしれません。ありえない指示です。
 ただ、その時の私には躊躇はありませんでした。ためらうより、監督のほうが怖かったのかもしれません。バットの芯を持ち、バッティングマシンのボールに対峙しました。
私は必死に基本にしがみついて、バットを目の位置まで高めて、ボールを見極めてバントしました。ボールは先端にあたり、勢いを殺したボールが地面を転がりました。
 成功させた私に対して、監督は褒めもせず、『真剣に、真剣に』と大きな声を私に放ち去っていきました。
私は三流選手で、早稲田の野球部員として試合に出場する力量はありません。私のような選手を試合に使うのは、監督として勇気が必要だったと思います。まったく打てない選手でしたが、監督は使えるところだけを見極めて守備要員として、20試合以上出場させてくれました。
 ただ、4年生の秋になると、さすがに来期の戦術を考える中で、守備しか使えない私は出場機会が少なくなっていきました。魂のやり取りをする練習を繰り返す中で、監督がどのタイミングで私を使おうとするかは、理解できました。ベンチを温めながら、私は出場機会を待ちましたが、チャンスが無いことは明らかでした。
 しかし、予想もしない時に監督が使ってくれた試合が1回だけありました。
 それは、4年生の本当に現役最後の早慶戦でした。現監督の小宮山悟が魂をちぎりながら投球を続けていたその試合は、早稲田が隙なく勝っており、守備要員などは不要でした。最終回を迎え、私はベンチで神宮に別れを告げるものと思っていました。
 ところが、9回裏の守備に入る時でした。監督は思い出したようにベンチから出ると審判を呼んで、守備交代を告げました。
  『レフト 交代 サブ。』
 その後に、『サブの苗字は何だっけね?』
と水戸訛りで近くの選手に聞いていました。
 いつも緊張しかない外野の守備位置に、私は初めて、ニヤニヤしながら踊るように走っていったことを覚えています。
 そして、レフトの守備位置からから見た神宮球場の風景を心に焼き付けました。二度と神宮のグランドに立つことのできない自分にとって、心残りをなく卒業できるけじめができたように感じています。あの最後の試合でグランドに立つことができなかったら、私のこれからの人生の誇りが少し霞んでいたかもしれません。
 石井監督の殿堂入りのニュースを聞いて、野球部時代のこと、最後の試合のことなどがよみがえりました。
 また最後の試合というと、こんなシーンも思い出しました。
 何十年も経ち、監督も何度か代替わりした秋の早慶戦のことです。均衡する試合は押し迫った早稲田の攻撃でノーアウト1塁。そこに主力の4年生に打順が回ってきました。彼にとっては学生生活、最後の打席になるであろうことは、誰でも予測できるところです。打順は5番。セオリーではバントかもしれませんが、私は4年生最後の打席なの
で監督は打たせるだろうと見ていました。しかしながら、サインはバントでした。私は、主力で活躍してきた選手が最後の打席でバントをするのかと思うと少し心が痛くなりました。
その4年生は見事にバントを決め、転がした後は全力疾走し、最後は一塁にヘッドスライディングをしました。全力を尽くし悔いを残したくない気持ちを感じました。4年生はベースを抱え込みながら少し時間がありましたが、最後はさわやかに立ち上がり、ベンチもそれを讃えました。
良いチームだなと思いました。ただ、選手に心残りが無かったことを祈るだけです。
 心残りなく大学野球を終え、新たな挑戦に向かう気持ちに切り替えることができた私にとって、恩師・石井連蔵監督には感謝の思いしかありません。
 野球殿堂入りが報じられたその夜、私は初めて石井連蔵さんの夢を見ました。夢の中では、監督は何もしゃべってくれませんでしたが、監督の言葉を思い出しました。
 『試合中一人で、守備位置につくのは怖い時があるんだ。怖い時は、必死に基本にしがみつくしかないんだ。だから、練習で必死に基本をやれ』
 朝起きると、涙が頬を伝っていたことに気づきました。
 ※参照資料 Wikipedia、朝日新聞
2019.12.09

サブロー通信:本を読まなくなった自分 座右の『書』1

社会人になってから、四十代後半までは多くの本を読みました。たぶん、1000冊近いのではないか?と思います。元々、読書はしている方だったとは思いますが、社会人になってからは、ビジネス書が圧倒的に多くなりました

ビジネス書を読むきっかけになったのは、三枝匡さんの「経営パワーの危機」だと思います。ビジネス小説風に書かれている内容は、ストーリーが分かりやすく、初心者の私にもすぐに読めました。三枝さんの三部作は楽しく読ませていただきました。

その頃は、まだ、ビジネス書を乱読するまでに至らなかったのですが、そのきっかけになったのは、当時契約していたコンサルタントからオススメされた書、P・F ドラッガーの「明日を支配するもの」だったと思います。調べてみると1999年の発行ですから、私は34歳から乱読が始まっているようです。自分で思っていたよりかなり遅い(笑)

ドラッガーは私には理解できないことが多過ぎましたが、その分からないなりに書かれている莫大な情報量に驚かされ、多くのことを吸収したい当時の自分には、意味が理解できなくても必要な書だったと思います。

確か、この「明日を支配するもの」の言葉だったと思いますが、『昔の生産性の向上は、人が長く働くか、激しく働くしかない』という言葉は当時の私に刺さりました。人の生産性が、時間的なことや筋力的なことに紐づいている限り、生産性の向上には限界がある。だから『知的生産性』が必要だと。人口減に必要なことは、一人当たり生産性を上げるしかないことは自明の理で、AI社会の入り口に立つ我々に当てはまる言葉です。

組織論を中心に書かれるドラッガーに対して、アブラハム・マズローの「完全なる経営」は心理学的な視点で個人の可能性を経営に持ち込んでいます。私の頭の中で、この二つ概念が常に対比していました。特にマズローは、性善説的な考えで『すべての人は、環境が整い、ポジションが上がり、期待されれば、その方向に進む』ことを前提に書かれています

当時の私には、それは人の理想に聞こえ、会社組織にあわせるには、課題があり過ぎるように感じていました。しかしながら、今の時代、組織よりも個人を優先するようになっていく考え方は、マズローの理想は現実になりつつあります。まさにこれから取り入れられていくものだと思います。5段階欲求の話ばかりが有名なマズローですが、1965年という54年以上前に経営書を書かれていることはまさに驚きです。

いずれせよ、ドラッガーの知的生産性を上げる組織論もマズローの個人的な欲求を満足させて行く知見も今後の社会には必要なものであると思います。

2019.10.31

お客様は神様から、社員が神様の時代?

お客様は神様から、社員が神様の時代?

日本ラグビーは、本当にすごいなと思います。この短期間で世界に通用する人を育て、育つ側の人間もその期待に応えるために練習をおこなうことは、並大抵のことではありません。必死になって、『勝ちに行くこと』は本当に美しいと思います。『負けてもいいや』などという姿に感動したことは私は一度もありません。

昔の経営者は、寝食を忘れて働く時間が誰でもあったと思います。たまには本当に吐血したり、血尿したりすることもあるでしょう。そんなに珍しいことでもなく、上からも下からも血を流して必死に働いています。もちろん、効率的に動ければ良いですが、それほど要領が良い人ばかりでなく、誰でも苦労はするものだと思います。もちろん、楽して結果が出るのであれば、それにこしたことはありませんが、、、。
昔、日本の詰め込み式教育システムがおかしいと言われた時代がありました。その後、いわゆる『ゆとり教育』なるものが生まれて、その数十年後、日本の教育が世界水準からどんどん落ちたと驚いているという統計が後から出てきました。誰が考えても当たり前のことです。誰がこの責任を取るのでしょうか?
社会においても、『働き方改革』というものがおかしな方向に進んでいると感じています。

数十年前だと思うのですが、『世界の中心で愛を叫ぶ』という映画やドラマが流行りましたが、私はそれに心惹かれることがありませんでした。どこまで行っても、それって、自分のことだけで、志が感じられないからです。大義により生きることも大事なことだと私は本当に思うのですが、今の時代は、大義を見失っていないでしょうか?私の父の時代のサラリーマンは、居酒屋で腕まくりをして、二級酒を飲みながら、『これからの日本てのはよぉ~』と日本という組織の一員のように話をしていたと思います。少し古い人間をすぐに『老害』だと言い出したりしますが、目の前にそんな人がいるのに注意しないで、ネットで書いたりする(笑)。

もちろん、人の為という言葉ばかりの話も嘘くさいものです。人の為を念仏のように唱えることも如何なことかと思います。
『人の為、人の為 というが、横から読めば偽りと読む』といわれます。

ただ、『純粋に勝ちに行く』それが、自分の為はもちろん社会の為と言い切れるなら『心の欲する所に従えども、矩を踰えず』ということになり、多くの人を巻き込んで、前に突き進み、世の中を良い方向に進めることができるのではと思います。

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