サブロー通信

サブロー通信は、アースアイズ代表 山内三郎が配信するメルマガです。
本ページでは、2019年4月〜現在までのサブロー通信をご覧いただけます。

2021.11.24

失敗をすると二度、良いことしなければならない 失敗したら倍返し

私が高校三年生の時、神奈川県の春季高校野球の大会でベスト8を争う試合だったと思います。
横浜の保土ヶ谷の球場で、対戦相手は武相高校という神奈川の野球の名門高校でした。

あれは確か延長戦に入って武相高校の攻撃の時でした。
1点が勝敗を決める場面で、私は守備固めでライトのポジションに入りました。

味方の投手にも疲れが見え始め
少しずつ、相手のバッターもバットの芯で投手のボールを捕らえ始めていました。

1アウトの時、私が守るライトに浅いフライが上がりました。

それほど、難しいフライではなく、前進すれば普通に捕れる小フライです。

私は前進していきましたが、その時、太陽が目に入りました。

完全にボールを見失いました。

まったくボールが見えないのですが、
私は、「なんとしてもボールを捕ろう」とする必死の姿勢を見せませんでした。
本来であれば、必死に何か工夫をすべきだったのですが
その時はそれができず、冷静にボールを見送ってしまったのです。

ボールはぽとりと私の前に落ちました。

当然、チームの仲間も観客も、私がなぜ、ボールを触りもせず
目の前に落としたのかを理解できず、不穏な雰囲気が広がりました。

私もどうしよう?という気持ちに一瞬なりましたが、
なぜかその時は、すぐに「自分のせいではない。太陽のせいだ。集中しろ」と
必死に自分に言い聞かせました。

その時は、それが良かったのだと思います。

自分に言い聞かせることで、試合に集中できました。
打者走者は、2塁に達しています

「延長戦の1アウト、ランナー2塁。ヒットが出れば、
必ずランナーはホームを狙ってくる。
必ず、ホームで刺さなければならない。」

私は守備を2歩ほど前におきました。

すると、芯に当てたライナーが再び私の守るライトに飛んできました。

私は、躊躇なく走り出しました。ライトのライン際に一直線に走ります。
打球はライナーではありましたが、難しい打球ではなく
地面ギリギリでランニングキャッチできました。

その時、「セカンド!」
と大きな声が聞こえました。

セカンドベースを見るといち早くホームに戻りたい二塁ランナーが
ヒットであると思い、飛び出していたのです。

ランナーは、戻りだしており二塁ベースから4、5メートルほどの距離です。

私はバッティングセンスがまったく無いのですが、守備においては
打球へのカンや、送球には自信がありました。
一瞬でも、投げる場所が決まれば、自信をもってそこに投げられます。

ライン際でセカンドに対して後ろ向きになっていた身体を反転させ、
ボールを握りしめると、
全身の力を120%ボールに乗せてセカンドへ投げ込みました。

セカンドベースのカバーに入っていたショートの選手は、
あたかも一塁手のように私の送球の方向にグローブを伸ばし
少しでも早くボールを掴もうとしています。
私の送球したボールは吸い込まれるように彼のグローブに入ったことを覚えています。

ランナーはセカンドベースに足から必死に滑り込んでいます。

セカンド塁審の手が上がり、アウトの宣告をしました。

間一髪、ほんの10センチほどの差でした。

アウトにできて良かったと思う一方で、さっきまでランナーが出たのは、
「自分のせいではない」と思っていたにも関わらず、
アウトにできたことよりも、ランナーを出してしまったことに
恥ずかしさが込み上げてきました。

野球のようなチームスポーツにおいて、
自分の失敗を自分でリカバーできることは少なく、恵まれたプレーでした。
1イニング中に、外野に連続でボールが飛んでくることは稀なことです。

ミスをすれば、とにかく一つ良いことをしても、まだ、ミスは払拭されません。

二つ良いことをしてやっと、元に戻るだけです。

私が良い送球でセカンドランナーをアウトにできたとしても、
それは、ただ元に戻しただけに過ぎません。

失敗したら倍返し

私の仕事は、倍返しがたくさんあります(笑)

2021.10.25

人の為、人の為 というけれど、横から読めば、偽りと読む

1982年に作られた映画で、ポールニューマン主役の『評決』という作品があります。
ポールニューマン扮する落ちぶれた弁護士が、医療過誤の被害者家族に付き、
教会系の大病院に立ち向かう映画です。
病院側はお金にものをいわせて、凄腕で手段を選ばない弁護士を雇います。
相手側の妨害を受けながら、ポールニューマンは、何度も窮地に立たされるのですが、
あきらめず戦い、勝利を勝ち取るのです。
ポールニューマンは主人公でありながらカッコ良く描かれるのではなく、
人間味のある弱い人に描かれていて、そんな人が戦いに臨むところが面白く感じます。

その中で、一番印象に残った部分が、以下の言葉です。
ポールニューマン側に有利な証言をすると約束をしてくれた医師が、
相手の弁護士の汚い手で、証言ができなくなります。
切り札を失ない、絶望の淵に立たされたポールニューマンでしたが、
その時に家族に向かって彼は勇気を振り絞りしゃべります。

『I’m gonna do the best I can for you and your sister.
I know how much it means to you, and it means that much to me, too』

字幕スーパーには、『私は、あなたの為、お姉さんの為、
そして私の為にもベストを尽くします。』という表現でした。
上記の英文では、自分の為という表現ではないようですが
「自分の為」という表現は新鮮でした。その状況で「自分の為」という
その言葉には嘘がありませんでした。
自分も相手と一体であることを表現しています。

政治家は、『国民の為』というが、その言葉がとても軽い。
『あなたの為』という言葉も心に刺さらない。
本当は、とても重たい言葉だと思うのですが・・・

ある寺に行ったときに、額に入った書が無造作に飾ってありました。
『人の為、人の為 というけれど、横から読めば、偽りと読む』
もう、何十年も前に見た言葉ですが、何か心に刺さる言葉でした。

仮に、多くの人の面前で、『自分の為に行動を起こす』という言葉を使う人がいれば、
それは強い信念が必要だと思います。
「評決」のポールニューマンは、弁護をする人と目標を共有していました。
だからこそ、『あなたの為、家族の為、そして自分の為にベストを尽くす』
と言い切れたのであると思います。
また、自分の素直な表現を入れ、家族を一人で悩ませない事も表現したのだと思います。

人前で、自分の為と表現できるのは、目の前の人と目標を共有しているからです。
自分の為に頑張ることは、必ず、周りの人も共に幸せをシェアできる事を表現しています。
そのような意味では「自分の為に頑張る」と胸を張れる行為は
実は素晴らしいことだと思います。
オリンピックやワールドカップなどに出場する人は、
まさに「自分のためだけ」に活躍を目指すことで十分だと思います。
勝てば、日本代表として、多くの日本人が喜びます。

良い目標や志がある人は、多くの人が応援してくれます。
そのような人は、自信を持って「自分の為に仕事をする」と表現して欲しいものです。
特に日本の政治家さんは自信を持って「自分の為に仕事をしている」と表現して欲しいです。
その行為が、多くの人に受け入れられるのであれば、素晴らしい国ができるのじゃないかなと思います。

2021.10.11

終わりよければ全てよし

日本ハムの斎藤佑樹投手が11年間のプロ野球人生を
終わりにするとのこと。本当にお疲れ様でした。
ご本人は、勝っても負けても注目される人でしたから、
野球人生は本当に大変だったと思います。

「高校野球から大学を経由せずに、そのままプロ野球選手になっていれば、もっと勝てた」
など、根拠の無い話を耳にすることがよくあります。
また、甲子園で戦い、大リーグでも活躍した田中将大投手と比較され
「成長しなかった」という話も聞いたことがあります。
ただ、野球をしている人や、プロのスカウトからみれば
当時からでも田中将大投手と斎藤佑樹投手では、
田中将大投手の方が素材的に上であることは明々白々でした。
しかも、斎藤佑樹投手はプロ野球入団後、肩の故障もあったと聞いています。
苦しんだことでしょう。
無駄に人の比較をする必要性はありません。

人は自分が選んだ道であるにも関わらず、後から
「やはり違った」と後悔することがあるようです。
ただ、仮に違う道を進んだとしても、本当にその人は
違う道でも後悔はまったくしないのでしょうか?

『死ぬ瞬間の5つの後悔(著:ブロニー・ウェア)』という本で
紹介されている「5つ」というものをまとめてみました。

「自分に正直な人生を生きればよかった」
「働きすぎなければよかった」
「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
「友人と連絡を取り続ければよかった」
「幸せをあきらめなければよかった」

緩和ケアの介護を長年つとめ、数多くの患者を看取ってきた
著者の経験を基にして書いたブログが大きな注目を集め、
それをまとめた本書は26ヵ国語で翻訳され、世界中で読まれています。

内容はよくわかる気がしますが、自分に正直に生きられるほど、
大概の人は自分の生き方に自信も強さも持ち合わせておらず
どんな生き方をしても、最後に後悔はあるのではないかと私は感じています。
どんな生き方をしても、死を目前にして、後悔が無い人は少ないでしょう。

ただ、自分の気持ちなどを伝えることはできそうですね。

甲子園などで大活躍しても、後の人生が振るわず苦しむ人は多くいます。
それをネットで他人事であるにもかかわらず、あたかも全てを知っているか
のように、
「あいつの人生のピークは甲子園だったな」などという人がいますが、
彼らにとってそれは人生の一部分でしかありません。
多くの人に注目を浴びることが幸せではなく、
野球や練習にチャレンジし勝ち取ったものと、
共に戦ったチームメイトに連絡をし合うことが
今後の人生に後悔しない大事なことのようです。
ましてや、ネットの勝手な批判など蚊帳の外の話です。

「終わりよければすべてよし」とは
シェークスピアの戯曲のタイトルらしいのですが、
私は、別の意味で捉えています。
私が聞いたのはお寺の坊さんの話で、
死ぬ時に笑って死ねる人生が一番良いという意味で使われていました。
「どんなに負けても良いじゃないか?壁があれば、
何度でも壁にぶつかれば良い。その壁を乗り越える先に
笑って死ねる人生がある」

後悔とは、取り返しのつかないものという気がします。
死ぬ間際であれば流石に「後悔」という言葉が相応しいですが、
人生が続く限りは、後悔ではなく失敗があるだけです。

私は笑って死ねるまで、頑張りたいと自分を励ましています。

2021.09.07

必死に生きれば、だれかが応援してくれるという真実

今は、ドン・キホーテのグループに入ってしまいましたが、GMSの旧ユニーさんとは、過去、お付き合いがありました。
私が警備会社を経営していた時に大変なお世話になった会社です。
私がまだ20代だった頃、ユニー日吉店を中心に、ユニーさんが北関東に出店する時に警備をさせて頂きました。
今、考えると何も分からない20代の社長に良く任せてくれたものだと思います。
必死にやってお取引を5店舗ほど広げさせて頂き、ユニーさんだけで登録の警備員は100名を超えていたと思います。
その当社の基幹店である日吉店で事件がありました。
私は突然、日吉店の店長に呼ばれて店舗にお伺いしました。
店長は私の顔を見ると無言で付いてくるように顎で促されました。

連れて行かれたところは、警備員の私ですら今までに一度も入ったことの無い屋根裏部屋のようなところで、全く誰もいない場所です。
何が起こるのだろうと思いましたが 店長は
「先ずは、これを見てくれ」
とあらかじめ置かれていたテレビのビデオを再生しだしました。
そこに映っているのは、当社の警備中の警備員でした。
隠し撮りされているのは明らかで、最初は何が始まるのかと思いました。
そのビデオは従業員用の駐車場が撮影され、自動車が映し出されています。
そこに当社の警備員が現れ、あたりを見回す仕草をすると、なんと、自動車に小銭でしょうか…自動車に、傷をつけているではありませんか??
私は言葉を失いました。
店長は
「社員の自動車にキズをつける輩がいて、もしかしたら、社員か警備員ではないかと話が出て、俺が個人的にカメラをつけてみた。」
と言われました。

なんということか!!本来であれば、警備会社が警備すべきところを完全に信用されず、しかもその予想通りに警備員がとんでもないことをしている。
信じられないが、目の前で起きていることは真実だ。
恥ずかしさやショックでとにかく、言葉が出ない。どうしていいかまったくわからない。「終わった」とも思いました。
私は、店長の言葉を待つしかありませんでした。
しばしの沈黙の後、店長は

「なんでこんな場所に連れてきたか、わかるかい?」

私は、まったく意図を理解できず、答えが見つかりませんでした。

「彼には問題があるが、それ以外の警備の人は、本当に真剣に良くやってくれている。
この事は本部には報告しない。ただ、被害にあった人には、弁償をして欲しい。他の社員にも言わない。」

とまったく予想をしない言葉を店長に頂きました。
私は、頭が真っ白というのはこのことかというぐらい、どうして良いか分からなくなってしまいましたし、何を喋ったか覚えていません。

とにかく精一杯の謝罪と感謝の気持ちを表現したと思います。

今時の会社の経営の中では、このようなルールを曲げてでも対応ができる人は、少なくなってしまったと思います。
ただ、必死に頑張っている社員がいれば、誰かがルールを曲げてでも応援してくれることが起きるものなのです。
これは、私の人生の中でも何度も、何度も経験をしてきたことであり、真実の一つです。

それ以来私は、とにかく必死に仕事をしました。以降、ユニーさんからのクレームはなかったと思います。
ユニーさんには、このような人がたくさんいて、私のような若い経営者にも良い経験をさせてくれました。

その後もユニーさんとは、出向者を受け入れて頂いたり、新しい企画を進めたり、本当にユニークなお付き合いをさせていただきました。
残念ながらユニーを大会社に育て上げた西川会長が2015年に亡くなられて組織が瓦解してしまいましたが、よき経験をさせて頂いた1社でした。

2021.07.19

24時間戦えますか戦えますか?

バブル期にリゲインというエナジードリンクのCMで、時任三郎が
-24時間たたかえま~すか! ビジネスマ~ン、ビジネスマ~ン、ジャパニーズビジネスマ~ン-
と唄っていた頃、会社で表現される『目標』とは当たり前ですが、「組織の目標」でした。

これは、売上や利益、成長速度、他社との競争に打ち勝つことに重点を置いた『目標』です。

もちろん、今でも、「会社の目標」とはそういうものですが、重点を置くべきものが会社の数字的なことから、
社会貢献性、また、個人の幸せなどが加味されるようになったと感じています。
会社は、社会や社員の生活にもその責任を求められるようになりました。

私は、意外に考えを突き詰めていくタイプのようです。
自分でも自分が面倒くさいと思うときがあります。
なぜ、自分がこの仕事をするのか?その目標は会っているのか?
仕事と個人の目標が本当に合致しているのか? など考えだすと、必ずと言っていいほど矛盾にぶつかるので、
目標設定など大上段に構えると、どうもすんなり肚落ちができずにいました。
評価することもされることも、子供のころから散々人様と比較されてきたので、
逆に『人の価値も自分の価値もどう考えるべきかと?』と思ってしまいます。
こういう社員が、会社にいて上司に不満をぶつけると、大変メンドクサイ男として処理されることでしょう(笑)

ただ、最近ある講義を聞いて、自分なりに理解し、結論が出せました

『目標』とは、会社が個人に与えるものではなく、個人が人生に明確なビジョンを持ち、
その一部として会社の目標があるということです。

私のような経営者は、会社と生活に境がなく、「会社の目標=個人のビジョン」です。
しかしながら、社員はもちろん、違います。
考え方や生活も違います。恋人や家族や自分の時間が一番でしょう。
私と人生の『目標』を合致させるなど不可能な話です。

ただ、社員も「個人の人生の目標達成」において、家族の生活や社会貢献などが手段として含まれるはずです。
その軸で、仕事・会社を選んでいるのであれば、仕事をしているときは、会社の目標を共有することができるはずです。

今回私の会社では、個人目標を掲げてもらうことにしました。
社員には「個人の人生の目標達成」のうち以下三つに絞り、短期・中期目標を考えてもらうことにしました。

1.良い仕事とその報酬
2.健康(適度な運動と良い食べ物、睡眠)
3.愛(恋愛だけではなく、家族、趣味、ペットでも構わない自分が愛して、愛されるもの)

この三つを軸に、自分が仕事においてはどの方向に進むのか、『目標』を設定してもらいます。
自分の人生に今なぜ会社は必要か?必要であれば、個人として会社にどのように貢献できるかを考えて頂きます。

つまり、「個人の目標」が先、「会社の目標」が後になる考えです。
会社はもちろん、成長を『目標』にします。しかし「個人の人生の目標設定」の中に、「この会社で働く事」が含まれていれば、
会社の『目標』は、必然的に「個人の人生の目標達成」のサポートにもなります。

この理想の組み合わせができていれば、会社と個人は『目標』に向かい歯車を連動させることができます。
理想を実現するための仕組みづくりに、経営者としてチャレンジしていきたいと思います。

2021.06.25

あなたは判断や決断をするときに、何を基準に判断しますか? 「三つの判断の仕方」

企業経営において、弊社規模の会社は、常に不安定な状況にあります。

不安定は時として必要条件です。

 

常に不安定な状況であることを前提に、中期、長期の『判断』を下しながら会社を成長させる事が中小企業の経営者として大事なことです。

意思決定をする時、若かりし頃は必ず「迷い」が生まれました。

「迷い」により時に心を弱くし、そして鍛えられて学びました。

「迷い」は無駄なことだと。

ビジネスで『判断』をする時は、当然良いことと悪いことの比較はしますが。

 

以前にボストンコンサルティンググループ出身の方に、『判断』の仕方について、いくつか教わったことがあります。

今回はその内、3つを抜粋してご紹介します。

 

<ビルゲイツ流>

意思決定をスピーディーに行う方法です。

稟議のようなものを回さず、重要な問題を電子メールベースで役員の間でやり取りをして決めていってしまう手法です。

決裁も24時間以内に返事が来なければ、上がってきた案件は承認されたとみなされ、実行に移されてしまうというものです。(現在もこの基準で動いているかどうかは分かりません)

「その時点で必ずしも正しい判断をしなければならない」という思い込みを否定し実行のスピードを優先したやり方です。(勝率で例えれば、6勝4敗で良いと割り切っている)

手法が合っているか?間違っているか?は後の話で、大事なのは「方向性はあっていますか?」という確認だけです。

ビルゲイツは「敵よりも、10倍早く動いている。」ということを前提に、相手が1個実行に移す間に、彼は6個の正しい「方向性」の事業を推進していることになります。

4敗の部分に関してもさらにスピードを上げ、間違っていた方向を都度修正すればよいのです。

世界で戦うためには、この修正力(修正方法)を日本人は学ぶべきであると思います。

方向性が合ってさえいれば、走って修正を繰り返し、前進をしていけるはずです。

それで8勝2敗になるでしょう。事業を推進するのに多くの日本企業では、稟議と判子がプロセスに含まれるため、『判断』に時間がかかります。

スピード勝負の『判断』で、修正改善を多く繰り返すことは、「敵に勝てる力」を備えるということです。

 

<衆議専決>

住友グループの意思決定の仕方とお聞きしています。

衆議専決ですから、一つの意味合いは専決です。

即ち多数決で決めるのではなく、決める時は責任者が責任を持って1人で決めよ、と言うことです。

では、独断でいいのかというとそうではなく、この専決は周りの人と徹底的に意見を戦わせ、その後に、リーダーが独りで決めるというやり方です。

責任の所在を明確にした上で、多くの意見を交わらせることができる素晴らしい方法であると私は感じています。

誰かが責任を取る方式をとることで、意見は出やすく、多数決などの最後は誰も責任を取らないようなやり方とは違います。

 

<ホンダ流>

海外に工場を作るときのなど、大きな投資を伴う時の判断基準です。先ずは、メリットのみを比較します。人、法律、文化、収益、物流など、

比較することは、数百に及ぶでしょう。できるだけメリットのあることを並べたら、5事業くらいまで絞ります。

絞ったのちに、今度は、デメリットを比較します。リスクの大きい事業などを落としてくことになります。

メリットとデメリットを同時に比較しすぎてしまうと、なかなか内容を決定できません。

メリット・デメリットを切り離して比較すると、確かに分かりやすく、決断がしやすくなると思います。

様々な手法があり、どれも「なるほどな」と思う内容であると思います。

事業を推進する上で大事なことは、自らに合う手法を用いて、その場その場で的確に『判断』し、成長の動きを止めないことであると思います。

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

サブローの小噺

さて、私の最近のテーマは、「大胆行動」です。

例えば、私が孫正義さん(アクセス方法は知りませんが)に会いたいとコネクションを最大限に使い、会って何らかの提案することは、私にとって全くデメリットがありません。(相手はいい迷惑かもしれませんが(笑))突拍子もないように聞こえるかもしれませんが、孫正義さんに偶然に会えたらと期待をして待つよりは大胆だと思われても自ら動くことがチャンスの間口を広げてくれると思っています。大胆な発想で大きなチャンスになることを、私は考えていきたいと思います。

2021.05.24

あなたは親としての誇りと自信を持っていますか?

私は、今年の6月で56歳になります。四捨五入で60歳。本当に早いものです。
50歳くらいまでは、まだ、若いつもりでしたが、50歳も半ばになると自分で、鏡を見て「ちょっと老けたな」と思います。
床屋さんに行くと、床に切られた自分の髪の毛が、ほとんど真っ白で、「あらまぁ…」と自分でびっくりします。
そのうち、電車に乗って立っていると、席を譲られるかもしれませんね(笑)

私の父はすでに他界していますので、私の心の中にしか存在しないのですが、子供の時に見ていた父親と、歳を重ねた今の私の心の中の
父親のイメージとでは、違った感じがあります。なぜか、今の父のほうが、一線を引きながらも、友達のような身近さを感じるときがあります。

私が子供の頃の父は、自分が父親であることに迷いなどなかったと思います。昔は地震、雷、火事、親父などとと言われ、父親像というものは、どの家庭においても、一定の威厳と恭しく飾られる格式があったように思います。父は、その世間の父親像をごく普通に受け入れて、特に演じることもなく、その役割を普通に(時には耐えながらだと思いますが)こなしていたと思います。

今の時代、父親であること、母親であること、先生であること、・・・自分が何をして良いか分からず、SNSの「理想の父親」「理想の母親」
などを検索して、何をすべきかを探すこともあるのではないでしょうか?
イクメンという言葉が定着しつつあり、父親像というものは、大きく変わりました。

父親の社会的な役割が、社会に合わせて変わるのは、分かるのですが、そんなに簡単に変化する理想とは怖いもので、元々、理想などなかったのだろうとすら感じてしまいます。

勉強の仕方、よりよい育て方、健康な食べ物、コロナの予防・・・情報が洪水のように押し寄せて、何が真実かを迷ってしまうような現代社会が、父親も母親も、その自覚すらを難しくしてしまっているような気がします。

人生において、目標を持ち、その目標を達成する努力をすることを、私は素晴らしいことであると思っています。私は自分の子供には夢や目標をもって、その努力をしてほしいと思います。人は夢しか実現できません。ただ、自分のやりたいことやしたいこと、何をしなければならないか?そんなことは、親であっても教えることはできません。親として教えられることは、巣立つまでの社会的なマナー程度です。
私にできることは、どんなに失敗しても、自分に恥じない生き方をすることだけです。
ー私が強く生き抜くことーそれが子供の心の支えになるのであれば、私はうれしく感じます。

2021.03.17

人生にチャンスは何度、巡ってくるのでしょう?

私は、どんなにどん底な生き方をしていても、
『あれ、チャンスが巡ってきたかな?』
とお目出度いことを考える特殊な人間です。

うだつの上がらない三流センスの私にも人生の岐路とか、
チャンスか?悪魔のささやきか?と思える出来事が幾度となく
巡ってきました。

果たして、神様は、誰にでも平等に同じ数のチャンスを
与えてくれてくれるのでしょうか?

かなり昔の番組で、明石家さんまさんの番組の中に
『ご長寿早押しクイズ』というものがありました。80歳以上の
ご長寿が3人出られて、司会者の出題に珍解答を応える名物コーナーです。

コーナーの司会者の鈴木史郎さんが、なんとかご長寿の方々に
問題を解いてもらおうと『解答ギリギリ』のヒントを出すのですが、
全員、とんでもない方向の解答をするので答えに1ミリも近づかず、
それがまた、笑いを誘いました。

そのご長寿の中で、一番多くの正解を出した人を当てるコーナーなのですが、
珍解答連発の解答者の中から、正解者を当てるのは至難の業です。

ところが、出演者の関根勤さんは、その珍解答者のご長寿を見極めて
よく当てていました。

なぜ、当てられたか?

私が見ていて気が付いたのは、どんなにとんでもない間違いでもめげずに、
何度も、何度も、最初にピンポンボタンを押して、手数の多い解答者を
指名しているということです。

確かに全員と同等のレベルであれば、確率的には間違いなく、
数多く解答した人が、トップになるはずです。

実はチャンスとは、誰にも巡ってくる天下の周りものではなく、
恥をかいた回数と同じで、数を多く打てば人より多くのチャンスが
巡ってくることになるのです。

つまり、チャンスとは、待つものではなく、
自分から作るものであるということです。

恥をかいて、チャンスを作る。
考えてみるとこれは、私の人生そのものかもしれません。

もちろん、チャンスの先に、実力を身につけ、
体制を固めることができなければ、失敗の繰り返しになります。
そこからが、やはり勝負時となるでしょう。
チャンスを作ることと勝負とは別物です。

2021.03.03

さぁ オリンピックだ

私は誰が何と言おうと、オリンピックが待ち遠しい。

私は1965年生まれで、当然戦後生まれですが(笑)、私の生まれるほんの20年前の1945年に東京が焼け野原だったことなど想像もつきませんでした。
戦争など、子供の私には遠い過去の話に思え、周辺にその名残もありませんでした。
社会は大きく変わっており、成長していました。
ただ、子供のころ、近所に片足のないおじいちゃんをたまに見かけました。
いつも犬と一緒で、犬があたかもおじいちゃんの片足代わりであるかのように常に寄り添っていました。
誰も説明してくれませんでしたし、私も聞かなかったのですが、今にして思えば戦争帰りの方だったのでしょう。

1964年に東京で行われたオリンピックは、戦後の復興のシンボルとして行われたといわれています。
当時、父の時代は居酒屋で腕まくりして「日本ってのはよ~」と酒の肴に復興の話を前向きにしていたように感じます。
時代が変わった今、東京でオリンピックが行われることには意味があると思います。

今回のオリンピックは、世界に先駆けてコロナに負けない東京を位置づける本当にシンボリックなイベントになると思うのは、私だけなのでしょうか?
1964年は日本の復興がシンボルだったかもしれませんが、2021年は、世界の復興をイメージできる大きなイベントにすることができます。
批判ばかりで、何も生み出すそうとしない人より、必死に成功に導こうとする人のほうがはるかに尊いと思います。
その人達を非難することだけは本当に止めてほしいと思います。
スポーツは、人に感動を与えて、心を通じ合い、そして人を動かすことができます。
批判をするだけで、その場にとどまり前進すらしようとしない人に耳を傾ける必要はありません。

多くの人がテレビ離れしている近年ですが、コロナでテレビ業界は息を吹き返しました。
コロナ禍で不安を先導した報道が流れ、「他人の非難ばかり」で辟易します。
政治批判や、日本はダメで海外事例は素晴らしいなど、他人を貶めるような話ばかりです。
他人を批判すると自分が有利な立場に立ったように感じるのでしょうか?
私はまったく同調する気になれません。

上を向いて歩きませんか?
オリンピックを政治批判や女性蔑視の問題と結びつけている時点で、本質的な問題を討議しようとしていません。
テレビ番組はコンセプトを最初に作りますので、ストーリーに乗せやすい部分を切り取って作っています。
これは数字の取りやすい、不安を煽って視聴者を同調させるやり方です。これほど無責任で、危険なことはありません。
民意をコントロールして、何も責任を取りません。視聴率を取りたいだけです。
オリンピックを何年も何十年も命がけで目指してきた人や、それを支えている人たちが世界中にたくさんいます。
しかしながら、そのチャンスはほんの一瞬です。それを編集されて切り取られた「街の声」で打ち消してよいのでしょうか?

多くの人に共通の壁がある今回のオリンピック。
世界共通の壁を越えられたならば、それは、本当に世界中の賛辞を受ける、まさに世界最大のイベントになると思います。

2021.02.19

ファインプレー

高校時代神奈川県下の名門野球部に所属していましたが、野球が下手な私は試合に出る術もなく、ベンチを温めるどころか、ベンチに入る気配すら無いままに下級生時代を過ごしました。

 そんな私が、初めて公式の試合用のユニフォームに袖を通したのは、高校二年の秋で実質的な最上級生になってからです。その秋、低迷する野球部の立て直しに、新監督として土屋恵三郎さんを新たに迎えていました。土屋さんは、昭和46年に甲子園初出場初優勝に導いた捕手兼4番打者で、私達の大先輩でもありました。
 新監督になっても私にはチャンスは巡って来ず、練習試合にすら一度も出番が無かったように記憶しています。そんな私がなぜ、ユニフォームを着ることができたのか? サッパリわかりませんが、ギリギリでユニフォームを貰えました。
 私の公式戦のデビューは、2回戦か3回戦目かの少し勝ち進んだ時だったと思います。相手は都立の多摩高校でした。前半は拮抗した試合展開でしたが、味方のレフトを守っている選手がモタついた守備をしたために、監督に烈火の如く怒られて交代を告げられました。
「山内、守備に入れ」と言われ、同級生では一番遅いデビュー戦が廻ってきました。
 実力があり、自信のある選手であれば、「待ってました」ということになるのでしょうが、私は自信が無いので不安しかありません(笑)
 レフトの守備位置についても、打者までの距離が遠く感じ、自分の守備位置が本当に「ここで良いのか?」と自問自答するような状態でした。
 私は練習ではライトを守っており、守備位置につくと
「ライン際はボールが逃げる」
「グローブの芯で捕れ」
と震える身体に自分で言い聞かせていました。
 ライトのライン際の打球は守備から見ると、左に切れていき、レフトは右に切れていきます。普段とは逆の守備位置についているので全てが逆になるという点だけは理解しつつも、打球が来るのを恐れていました。
 守備位置について直ぐのことだったと思います。まさに、恐れていたそれが飛んできました。瞬時に私の身体は、打球に反応できました。緊張状態は限界を超えていて、頭は機能しておらず身体だけの反応でした。
 打球を追う時、私は打球から目を離して全力で走れます。これだけが私の唯一の野球センスで、打者が打った瞬間に打球の角度や性質が判断でき、落下地点に最短距離で走り出すことができます。打球を見ることはありません。
 いつも必死に走って行って、良い頃合いに視線を上げれば、そこに打球が飛んで来ます。不思議と打球の方向を間違えたことも視線を上げるタイミングを間違えたこともありませんでした。
 全力で走りながら視線を上げると、打球は地表スレスレのライン際を痛烈な勢いで飛んでいて、私の身体から逃げるようなドライブがかかっていることが分かりました。私の視線もなぜか地表スレスレの低いところにあります。その打球は、両手では補球できそうもなく、片手で目一杯腕を伸ばし切らないと届きそうもありません。外野でも片手で勢いのある打球を取ろうとすると、グローブの中でボールが弾み、打球がこぼれ落ちることがあります。
 捕球体制に入った私は打球の勢いを殺せる親指と人差し指の間に打球が入るように、必死にグローブを伸ばしました。そしてその打球がグローブに入ろうとする瞬間、手首をクイっと曲げて私のグローブが芯でボールを捕らえ確実に打球の勢いを抑えるようにしました。そして、グローブ越しに左手は補給の手応えを感じました。「芯で捕れた!打球は絶対に落ちない」と掌の感覚が教えてくれるとホッとしました。
 次の瞬間、外野の芝生にすごい勢いで胸が滑っていく感触と、地面を擦るザザーッという音に自分で愕きました。集中から解放された身体は、触覚と聴覚を瞬時に取り戻しました。私の身体はレフトの芝の上に止まりました。
 どうやら、ライン際を襲うライナーを地表スレスレで、ダイビングキャッチをしたようだとそこで初めて気がつきました。頭からグランドに飛び込んだことすら自分で分からなかった。無我夢中とはあんなことを言うのだろうと思います。
「おおぉー!」とどよめく歓声がスタンドから起こったことを覚えています。
 今思えるのは、必死の心の準備と無我夢中の意識が、良いプレーに繋がったのであろうということです。
 集中力があれば凡人でも良いプレーができる。仕事でもそうなんだろうなと思っています。
2025年3月
« 1月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

月別アーカイブ

HOME
Service+
Lab+
Archive+
Company+
Contact