広陵高校ヘの正義
ネットで「正義」を語る声は、毎日どこかで聞こえてきます。
社会をより良くしようとする意見は大切ですが、その声に違和感を覚えるのは私
だけでしょうか。
自分で60歳の自分になることは、想像していませんでした。「まぁ、よく生きて
昔、帰りの電車での出来事です。
満員電車に、5、6人の大柄な外国人の若者が乗ってきました。かなり酔っていて、
大声で騒ぎながら、まるでピンボールのように人にぶつかっては跳ね返る遊びをし
ていました。
周りの人たちは、迷惑そうにしながらも、怖さからか誰も目を合わせようとしませ
ん。私は英語でどう注意すればいいか?などととメンドクサイことを考えながら彼
らを注視していました。そのうちの一人が女性のカバンに手を入れ、財布を盗もう
としているのを見つけました。
私はとっさにその犯人の手を掴もうとしましたが、手が滑ってしまい、捕まえきれ
ませんでした。払われた拍子に、再度を捕まえようとして思わずその相手の後頭部
を殴ってしまったのです。
犯人は大柄外国人の陰に隠れ、私は周りを大柄な男たちに囲まれましたが、なぜか
冷静な私は、彼らが手を出してこないのがわかりました。ただ、私を助けようと声
をかける人もいませんでした。
別の日の朝の出来事です。各駅停車の満員電車で急行待ちのため、しばらく停車し
ていました。私は電車の中に押し込まれて窓の外を見ると、ホームで女性が突然、
危険な倒れ方をしました。
驚いたことに、誰も電車から降りて助けようとしないのです。私は電車の中から人
をかき分け、ホームに降りて彼女に声をかけ、駅員さんを呼びました。
その時、電車の中から無言で私や倒れた女性を眺めている人たちになんとも言えな
い違和感を覚えました。
以前、痴漢にあった女性が「誰も助けてくれなかった」と話していたことも思い出
しました。
ジャニーズ事務所やフジテレビの問題も、関係者は多くの人が知っていたはずです。
それにも関わらず、目の前で助けを求めている人に目を向けず、見て見ぬふりをして
きた人たちが、今になって顔も名前をもわからない人のネットの意見を「そうだそう
だ」と騒ぎ立てる。そこには、嫌みや妬み、今まで言えずに、ため込んだものを転嫁
しているにすぎません。
広陵高校の野球部のように、寮生活で「それが普通」とされてきた中で、「それは間
違っている」と声をあげるのは、本当に難しいことです。弱い自分は、その場の空気
や雰囲気に流されて、一歩間違えば加害者になってしまうかもしれない。それは誰に
でもある可能性です。
本当に大切なのは、ネットで正義を叫ぶことではなく、ごく普通に目の前で困ってい
る人に手を差し伸べる勇気を持つこと。その勇気を持つために、私たちは日頃から自
分自身の心と向き合う必要があると思います。