人を救う経済を 日本人は本当の経済を知っている(経世済民)
いつか、誰かが、令和の時代を振り返る時、コロナ(ウィルス)元年と名付けるかもしれないこのお正月、令和三年一月七日に一都三県に再び非常事態宣言が発令されました。
もちろん、感染をこれ以上拡げないことが大事ですが、更に心配なのは、経済の行方や人のやる気です。
withコロナという言葉が「お題目」ではなく、いかにして経済との両立を真剣に考えることが必要であるかにも関わらず、TVは、ワクチンの話や、政府や知事を悪者にするような話に終始しています。
経済は人々の生活を成り立たせている基盤です。
経済は個人・各々の目標や大事にしているもの(健康、家庭第一、趣味など)や生活と、大なり小なり結びついており、どちらを大事するものということではありません。
英語で経済というとeconomy と訳され、無機質な数字的な意味のように感じますが、日本語の経済という言葉は、経世済民という中国の古事に由来しています。
経世済民の「経」とは、時間の経過を意味するだけではなく、「治める」という意味があります。また、「済」は救うという意味ですが、古くは「橋を渡す」という意味がありました。川を挟んで、橋を作り、町と町、そして人々の往来を促すことを意味していました。日本でも人と人とを引き合わせることを「橋渡しをする」などと表現されたものです。
つまり経済(経世済民)の本来の意味は、苦しむ人の世を治め、環境を整えて、多くの民を救うことにあります。
economyを経済と訳したのは、福沢諭吉(諸説あるそうですが・・)と何かの本で読んだことがあります。さすがに世の偉人は、社会の起伏を熟慮し、普遍に通じる素晴らしい意訳ができるものだと思います。
経済というものは、日常とは、切っても切れない環境にあることは、一度目のコロナ禍で実証されています。世界は、無機質なeconomyとコロナ対策とを区分するのではなく、人と人を繋ぐ、架け橋として「おもいやり」、「おもてなし」などの「心あるeconomy」=「経済」を必要としています。
日本人として、世界に「economy」ではなく「経済」を拡げることがwithコロナの生き方であると感じています。